MAKIのエッセイ

はじめての合同創作エッセイなのだけど。

さあ、なにを伝えようか?
友人間との間でエッセイ集を作ろうと決め、どうやら期限が迫っているようだ。
テーマは、「別の誰の得にもならないし共感も得なくていいんやけどなんとなーくこういうことを思ってるんだよね」っていう。

誰の得にもならなくて良いのなら、おおよそ誰も見ていないだろうnoteに書くのと同じ感覚で書いてみよう。

今私はニュージーランドにワーキングホリデーのビザを使って滞在中だ。早いもので、あと数日ばかりで2ヶ月が経とうとしている。ワーホリ自体は20歳の頃に1度カナダで経験しているので、海外生活は初めてというわけではないが、コロナ渦もあり、数年ぶりの海外生活となる。

渡航後の当初は、自分の想像化の”なりたい自分”になれなくて自尊心が揺れ
涙を流したりもした。27歳になった今でも、他人と比較する自分がいるらしい。それは若さのせいなのか、元々の性格が及ぼした根本の性格なのか。
そんなときは決まって家族に電話する。本当の自分を知る人なんて
この世にひとり、ふたりいれば幸運なものだ。つくづくそう思う。

電話越しでの母の一言。「ふわふわしとかんね。」と。
ふむ、腑に落ちた。そうだ、私はここにふわふわしに来たんだ。

なので今は、より自分がふわふわできる好きな場所、モノ、ヒトを選んで進むようにしている。
好きな場所。平日の閑散としたアートギャラリー。
地元民が集まる、街から少し離れたビンテージマーケット。
ストレスを感じさせない職場。
基本的にひとり作業なので、仕事中に話したくない自分にとっては丁度良い。
同僚やボスはいつも「Maki! Konnichiwa!」と声をかけてくれる。
生活には全く支障の出ないちょうど良い人との距離感と仕事量。
ワーホリ特有の出稼ぎができているわけではないが、
仕事でのストレスこそがふわふわを止めてしまうからこれで良い。

好きなモノ。
日本では到底出会うことの出来ない色とりどりの古着の数々。
街中で出くわす、アート作品のような広告のポスター。
特にこの場所で触れる色たちは、日本を離れた甲斐があったと思うくらい、
ふわふわを増進させてくれている。

好きなヒト。
収穫なし、ピリオド。まだ出会えていないのが正直なところだが、
好きなヒトなんて日本にいてもそう出会えるわけではないので
マイペースに、前向きに。きっとこれから。

今はそんな感じ。

したいからするだけ。

2024年ももう残り約1ヶ月に差し迫っている。最近、月日が経つのが早く感じる。とんとんと、当たり前に、日々が流れるように過ぎていく。
決めた。1月に車を買おう。そろそろ飛び出さないと。
この感情に襲われるのは新しい生活を始めて大体3ヶ月を回って来た頃から。
そうだ、Nelsonへ引っ越そう。
アートと海と山に囲まれた場所。
ものづくりをするアーティストが集まる街。
日本にいる頃から、住んでみたいと思っていた。
一瞬たりとも後悔のないように、"したい"は全部したいのだ。

ひとりじゃダメですか。

NZに来て思ったことのひとつに、おひとりさま文化の風当たりの強さを感じる。
こちらでは、何をするにもファミリー基準で考えられているので
ひとりで何かをするときに肩身の狭い思いをすることが多々ある。
例えば週末のイベント。
毎週何かしらのイベントが開催されているが、家族連れや友達などの"連れ"がいて、ひとりで行動している人はほとんど見かけない。美術館のコンテンポラリーアートのイベントの時なんて、みんな何かしら"誰か"といて、アートのことなのか何なのかわからないが永遠と喋っていた。

例えば、しっぽりひとりで呑みたい夜があるとする。
海外の人からすると、ひとりで家飲みなんて、精神的に不安定で病んでいると思われるらしい。お酒はみんなで飲むからこそのお酒でしょ!と。

この国に来て感じたことは、ひとりで何かを楽しむという観点が日本に比べて薄いように感じる。
いやそれとも日本が強すぎるのか?
「ソロ活」という言葉があるように、日本という国はおひとりさま産業のコンテンツが多彩すぎる。
ひとり焼肉、ひとりカラオケ、ひとり映画、カフェやファミレス、飲食店でもひとりでその場にいることに何の違和感も示さない。

こちらに来て定期的に襲ってくる今まで感じたことのない強い孤独感は、異国の地にいるからというより、ソロ文化がマイノリティーであることが大きいと思う。

日本の社会は生きづらいと言われるが、
はじめてここに来て日本で住むことの生きやすさを感じた気がしてならない。

結論、おひとり様文化、最高なのよ。
ああ、早くなか卯で親子丼セットひとりで食べたいな。

本当の自分を受け入れるって。

私は、自分以外の他者からの見え方と、自分からの見え方が大きく違うなと感じることが多々ある。
私自身は、間違いなく楽観的ではない。そう見えて。
想像以上に根暗。ただ人がいたら無意識に外向けの顔を作ることができる。
ひとりが好きで、みんなとワイワイするより、いつの間にか自分の居心地の良い唯一の場所を探してしまう。

そしてそんな風に自分のことを知っているはずなのに、いつも人生の選択は
他者から見えている自分の基準に沿って選んで来たような気がする。もちろんそれは自分の選択で、全て間違いだったというわけではないんだけど、
他者から見えている自分=自分の期待している物
自分の中の自分=見たくない部分が多い

でも、本当は、本当は、っていう心の声を無視するがゆえに
やってみてNOサインが出るパターンが根付いてしまっている。

私は、できないものはできないし、苦手なものは苦手と言いたい。
私は、本当に好きなものに好きと言いたいし、その声を見失いたくない。
私は、これが私なんだと等身大の姿でいたい。
私は、もっと、自分を楽にして、何も考えずのんびりしたい。
でも、考えすぎる自分も自分であると言いたい。

本当の自分を受け入れるっていうけど、そんなの
いささか簡単なことではない。
でも、本当の自分に、自分の家族や友人に接するように
優しくしてあげたいなと思う。

わたしはワタシ。

私の旅の在り方

旅が好きだ。

でも何故こんなにも強く旅が好きなのか、考えたことはなかった。
飽きっぽいから? 刺激に溢れてるから? 非日常を味わえるから?
どれも一理ある。でもそれだけでは私の感情は説明がつかない気がする。
私は、どうしてこんなにも旅に惹かれて、どんな旅をするのが好きなんだろう?

旅の在り方って、100人いれば100通りのスタイルがあると思う。
定番の観光スポットを計画立てて巡る人もいれば、無計画にその場その場で行動する人もいる。
ひとりで気ままに動くのが好きな人もいれば、グループで感情を共有するのが好きな人もいる。

私はどんな旅が好きなんだろう?

もちろんタージマハルを背景に、思い出になるようなとびっきりの写真を撮りたい時だってある。
気兼ねない親しい誰かと、その地のローカルフードを味わい尽くす旅も楽しいに決まってる。

ひとつのスタイルに縛られたくない私にとって、旅の在り方を定義するのは容易いことではないけれど、旅をする上で私が無意識に大事にしていた
ふたつのキーワードがあることに気づいた。

飛び込む 、少しきつい思いをする、のふたつだ。

①飛び込む
文字通り、その国や地域に飛び込んでしまう。
遠目から見るのではなく、その場所に体ごとダイブするような感覚だ。
その場所の文化に"触れる"だけでは到底物足りない私にとって、"飛び込む"というこの表現が一番しっくりくる。
言語、食べ物、宗教、慣習、彼らの「当たり前」を感じるためには、
ほとんど彼らの子供になるような気持ちでいることだ。
私はこの地のことを何も知らない子供で、見るもの触れるもの口にするもの全てが新しい。視覚・聴覚・嗅覚・. 味覚・触覚、全五感をフル活用して
恐れずに彼らの「当たり前」に飛び込んでいく。
それが私の旅を魅力あふれるものにする一つのモットー。

②少しきつい思いをする
旅は大抵刺激的でかけがえのないものなのだけど、彼らの「当たり前」に飛び込むと、時々たくさんのエネルギーを使うことにもなる。
数年前、初めてフランスに訪れた際、当時付き合っていた彼の家族の家に1ヶ月ほど滞在していた私は、彼らの食事の始まりと終わりの過程に最初は感動を覚えた。ああ、なんて贅沢で豊かな時間なんだろうと。
喋る、食べる、飲む、喋る。
彼らにとって食事は何よりも優先すべきことで、1日の始まりから終わりまで、じっくりと時間をかける。
日本で食事をすると大抵15分くらいで済んでしまうので、その違いに驚きつつたっぷりその時間を楽しんだ。最初の数日間は。
1週間を過ぎた頃、食事の際のフランス語での会話にげんなりしている自分がいた。何しろ言語がわからない、コミュニケーションが取れないのが辛い。
話したいこと、聞きたいことはたくさんあるのに。おお、言語よ。
この状態が続くと、いくらワインを飲んでごまかそうとしてもごまかしきれない瞬間がある。
遂に我慢の限界だった私は、家を飛び出して、家から1時間ほど離れた都市に宿を取り、ひとりで過ごしたのだった。
あの夜に偶然みた打ち上げ花火は、今でも強く記憶に残っている。
あの花火は、一体何だったんだろう?

その後またお家に戻り、良くも悪くも濃く様々な時間を過ごしながら、とうとうお別れの時間がきた。
言語がわからず辛い思いもしたが、彼のお母さんとお父さんは、見ず知らずの私を受け入れ、美味しい食事と素敵な寝床を提供してくれた。24歳の誕生日をフランスで迎えた際には、私のためにとDiorの香水と化粧品のギフトを贈ってくれた。言語がわからずともたくさんの愛情を注いでくれた。
そんな彼らに、私はフランス語で感謝の手紙を書いて、お別れの日の前日の最後の食事の時間に拙いフランス語で手紙を読み上げた。
気づくと彼らは涙していた。
その瞬間、私もつられて涙腺と私の何かが爆発してしまい、声をあげて子供のように泣いた。嗚咽をあげて泣きじゃくった。
その涙は、いろんな感情が入り混じっていて。
ひとり孤独で辛かった感情や、苛立ち、拠り所のない負の感情。
でも同時に、彼らと笑いあったあのあたたかく幸せな感情も確かにそこにあったのだった。

最後の最後には、私たちは涙を流しながら抱擁を交わしていた。

私は、日本人が作った日本人のためのツアーで強い記憶に残ると思えない。
きっと私は、その場所というより、人間が好きで、彼らが生活するように
生活をしたい、彼らを知りたい、という好奇心の塊なんだということに改めて気づいた。人間同士なので、もちろんそこには色んな感情が派生するのだけれど、その痛みさえも最終的には美しく忘れがたい記憶に変わるので、
結果オーライなのだ。

これが私の旅の在り方。

あなたは?








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