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チカ

ジャニスジョップリン似のチカの思い出を書こうと思う。
ちなみにチカは仮名です。探してもいません。これは私の物語の中のチカだからです。

チカが何科だったかは、忘れてしまった。カルトンを持って歩くショートパンツ姿が印象に残っているので、絵画科だったのかもしれない。
カルトンとは、ケント紙を挟んで持ち運べる画板である。絵を描くためのものなので持ち主は当然描くことが好きだろう。それぞれ個性的な落書きをしたり、ステッカーを貼ったりする。これを持って歩くとかなり目立つのだ。
細い一重の三白眼で、目の周りをアイラインで縁取りし、その目でジロリと睨まれるとドキッとするのだが、中身は可憐な少女である。小柄で華奢で、けれども胸は豊かで、まさに処女と少女と娼婦が同居する魔性のオンナである。
高校生の頃から目立っていたそうで、年上の男性に言い寄られることが多かったそうだ。守ってあげたくなるタイプだからだろう。恋愛抜きにしても年上から可愛がられていた。というか、心配されていたのかな。もうなんか、放っておくとどうにかなっちゃうんじゃないかと思わせる、破滅型の人なのである。

しかし本人の恋愛対象は同年代で、その辺は普通の18歳の女の子なのだった。同じ学校のダテくんと付き合っていた。
ダテくんはグラフィック科の男前で、垢抜けていた。が遊びたい年頃もあって、今で言うならチャラい所があって、チカ以外の女の子とも遊びに行ったりする。
チカは一見すると気が強そうで、そんな場面に出くわしても、その場では気丈に振る舞っていた。ところが彼から見えない所へ来た途端に膝から崩れ落ちて泣き出したのである。なんてかわいい、なんて可憐なのだろうと、私は驚いたのだ。その感情の表し方のなんと素直なことだろうと。まるで小さな子供のようだと思った。

家出常習犯だった。
お父さんと折り合いが悪いようだった。なんでも包丁を持って雨の中追いかけられたことがあるらしい。どういう経緯でかは、聞いたけど忘れた。
マキちゃんという下宿している女の子がいて、この子も風変わりな危なっかしい子だったが(バニーガールのアルバイトとかしていた)気が合うのか、ずーっとその子の下宿にいた。が、マキちゃんはいろんな危なっかしいバイトが親にバレて、心配から実家に連れ戻されてしまったので、チカは別の子の家を渡り歩くようになった。

双子のカスミちゃんの家は子供部屋が母屋とは別棟にあり、お家の人も寛大でうるさく言わない人がだった。チカはここへひと月以上滞在し、お家の人に「あの子はいつ帰るの?」と言わしめたのである。

そのうち学校へは来なくなった。
あまりにも素行が悪いからと、親にとある宗教の合宿所に入れられてしまったのである。
入れられたとは言っても、軟禁とかそういうものでもなく、「遊びに来てや〜」と電話がかかって来たりした。
友達数人とその宗教で有名な市へ赴き、合宿所の外で待ち合わせをしたのだった。不思議な街だった。そして、チカは案外元気そうだった。一日中その宗教の勉強をしたり、奉仕と言って清掃活動をしたりするのだそうだ。一ヶ月ほどで帰る、と言っていた。

合宿所へ入れられる前に、チカの家に行ったことがある。終電を逃し(また!)行くあてがなく、夜中にこっそりお邪魔したのだ。
一階の真っ暗な部屋で、ゴソゴソバリバリと音がするので、何かと聞くとおばあちゃんだと言う。認知症で昼夜逆転していて、昼間は家族が行き交う居間でもグーグー寝ていて、夜中になると起きて、真っ暗なままゴソゴソするのだそうだ。
お父さんは真面目なのだが、お酒が入ると一変してしまうらしい。お母さんは優しそうだったが、苦労されてるようだった。チカからお母さんの悪口は聞いたことがない。

合宿所からは一旦家に帰ったようだが、そこから精神的に不安定になってしまったらしい。らしい、というのも、私たちも学校を卒業して仕事をしたりで、チカを含めた友達と連絡が途絶えがちになったのだった。
この辺は友達から聞いた話と、後から本人に聞いた話である。

ダテくんとも別れてしまい、学校の友達もそれぞれ仕事をし始めたので、転がり込む訳にもいかず、家にこもっていたのだが、ご飯を食べなくなったのだそうだ。拒食症である。両親も決して放置したわけではなかったが、本人が受診も拒否し、極端な食生活を変えず、ある日とうとうベッドから自力で立てなくなってしまった。そして緊急入院となった。死ぬかもしれない、というところまで行ったらしい。本人も死を感じたと言う。

入院したのはその宗教関係の病院で、周囲の人にものすごく親身にされて、なんとか立ち直って退院することができた、ということだった。
ところが、退院してからまた放浪癖が出てきたのだ。
学校を卒業して3年目頃、私は自立して一人暮らしだった。その噂を聞いてか、電話がかかってきて、家に行きたいと言う。
ようやく一人になって自分のペースで生活出来ることに心から喜びを感じている頃だった。チカに転がりこまれることは、避けたかった。会うのはいいけど、泊まってはもらえないと念押しをして、最寄りの駅を教えた。

駅に着いたと連絡を受けて、迎えに行くが、それらしき姿が見つけられない。最後に会ってから2年ぐらい経っていただろうか。
ふと気がつくと年配のおばちゃんがこちらをシゲシゲと見ている。
それは、チカだった。
トレードマークのモジャモジャポニーテイルではなくショートカットになっており、縁取りアイラインもなくなっていた。入院していた頃からは随分体重は増えたと言うが、痩せ気味でシワシワだった。まだ、本調子ではないことは、見て明らかだった。

なんの話をしたのかは覚えていない。人相が変わるほどの体験をした人を、どう扱ってよいのか分からなかった。たぶん、当たり障りのない話をして別れたのだろう。
何にもしてあげられない、と思った。


それから5、6年後のことだ。
一枚のハガキがきた。
結婚しました。でも実は結婚して2年目で、子供も2人います。連絡しようかどうしようか迷って、やっぱり知らせたかったので、ハガキを出すことにしました。
今は幸せです。
幸せそうな4人家族の写真と共に。


その後は知らない。
私も転々としたので、音信不通になってしまった。

今もしチカに会いたいと言われたら、私はなんとするだろうか。


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