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教会と黒猫

転勤で家を空ける人がいるからと家の持ち主が帰ってくるまでの間、そこに住むことになった。京阪神のいわゆるベッドタウンである。同じような家がたくさん並んでいて、自分の家を覚えるまで少し時間がかかった。

初めての二階建てで、階段は狭くタンスや大きな家具を吊り上げてベランダから運び込んでいた。二階の西側の四畳半の洋室は兄の個室になり、東側の八畳の和室が私の個室になった、、、と思ったらありったけのタンスが詰め込まれ、何のことはないクローゼット兼私の部屋だった。ベランダがあったことから、母が出たり入ったりし個室とは言えなかったのだ。

小学3年生から4年生の頃だった。年子なので双子のように一緒くたに育てられていたのが、性差の別がつけられ出し、私は身の回りのことは自分ですることは当然として、家事の手伝いを言いつけられることも増え出した。間取りの上で仕方がないとはいえ、平等に個室を与えられないことに薄っすら不満を感じ始めてもいた。

痴漢というものに初めて遭遇したのも、この頃である。どこからかフラフラと自転車で帰る途中、おそらく後をつけられていたのだろうが、警戒心のカケラもない私を、相手も自転車で追い越しざまに、スカートをペラリとまくりついでにお尻を触られたのだった。幸い後を執拗に追い回されることもなく、恐怖と驚愕と共に急いで家に帰って母に報告したが、あんたが気をつけないからよと言われてションボリしたのである。確かにボンヤリしていた方も悪いのだろうが、性に関することは親には報告したり相談したりしてはダメなのだと悟ったのである。


学年が上がって自転車で行動範囲が広くなった。近視が出てきた兄と共に、線路の向こう側の、視力回復センターという所へ通うことになった。バスで行くとぐるっと遠回りになるが、どこかの大学の研究施設と大きな植物園があり、貫ぬくような道があって、車の通りも比較的少ない。センターへの近道になっていたので、兄と2人自転車で通っていた。緑の中をくねくねと、軽くアップダウンもあって気持ちのいい道だった。途中で三叉路があって、そこには古くて趣のある教会があった。

ある時、自転車で走っていると、道路に真っ黒い何かが落ちていた。前を行く兄は気にもとめず通り過ぎる。ゴミかな?と近くまでくると、それは車に轢かれた黒猫だった。口をカッと開いてその中は真っ赤で、黒と赤のコンストラストが目に焼き付いた。スピードも緩めず、目に入ったのは一瞬だったが、心臓がバクバクして、しばらくして落ち着くと深い悲しみがじわじわと染み出してきた。

叱られたとか、自分が理不尽な目にあったとか、叩かれたとか、イジワルされたとかで悲しくなったり泣いたりしたことは、しょっちゅうある。しかしその黒猫を見たときの悲しみは、味わったことのない種類のものだった。

あれは何だろう?死の哀しみと共に、生きる哀しみを強く感じたのであろう。死んで悲しい、かわいそうのその向こう側、生きるって哀しい、、、みたいな。

10歳になるかならないかのこの頃にもう、思春期の入り口に立っていたのだなぁと思う。性と生の端っこに触れて感じる入り口にいたのだ。

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