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彼ダッシュ

専門学校時代に話は戻る。

暑い夏、太陽の季節の歌の如くに、私も燃え盛っておりました。次から次へと、接近してはなんか違うと突き放し、、、。しかしながらここまで私は一線は越えなかった、というよりかは相手様が据え膳食わないのか、私が食えないヤツなのか。


F青年は、その学校では珍しく東海地方からやってきて、下宿していた。いかにも絵画科という感じで、時代的にもバブルの始め、周りの学生もなんとなく浮かれている中、寡黙で哲学的で厭世観たっぷりの青年だった。

グラフィック科などは、将来カタカナ職業を目指すだけあって、地方から来た子でさえもどこか垢抜けていたし、女子たちはananやnon-noから抜け出したようなファッションで流行りに敏感だった。

そんな浮かれた連中を、ケッと吐き捨てるような背中で絵を描いていたのだ。
俺に話しかけるなオーラを全身に纏っていた。そんな彼を返って面白がって話しかけたりチョッカイをかけたりした人もいたが、みんな玉砕していた。

それでも入学から半年ぐらい過ぎた頃には、それはそれで彼のキャラクターとして認知され、それなりの交流は出来てきていた。

確かに興味は持っていたと思う。
しかしそれは、誰にも心を開かない心暗い青年に対して、だったのだろう。

ある時他の女子達と、例によって例のごとく、終電逃して知っている下宿へなだれ込み、雑魚寝をしていた。それがその日はF青年の下宿だったのだ。ところが彼の下宿には風呂がなく、早朝からシャワーをしたい女子達は三々五々と下宿を後にして帰って行った

寝坊な私はグズグズと寝ていたのだ。
それまで据え膳喰われなかったことから、かなり油断していたのだった。
年頃から行為そのものにも興味もあったし、F青年にも興味があったし、あ、これはそんな雰囲気と気付いてからも、逃げなかったし、合意の上である。
F青年の方も初めてだった。

正直なんの感動もなく、汗と体臭と痛みで、あー早く帰ってシャワーしたい!と思いつつ下宿を後にしたのだった。

この件に関しては後悔はなかった。

ところが、次にF青年に学校で会った時、彼は今まで見せたことのない、媚びが数パーセント含まれたギコチナイ笑顔で、私のほうへ近づいてきたのである。
咄嗟に、こんなんFと違う!こんなFは好きじゃない!と、なんと私は逃げてしまったのである。

間の悪いことに、その翌日彼は盲腸炎を発症し、入院したのだった。タイミングからいって、傷心から病気になったわけではないのだが、彼にしたら天国から地獄でさらに地獄、泣きっ面にハチ、二段仕掛けの落とし穴、最悪の気分だっただろう。

退院して学校に復帰した彼は、元よりもさらに厭世観漂わせ、いや元の厭世観はどこかポーズが含まれていたが、本物の厭世観をすっかり纏っていたのだった。


私には、ひとつジンクスがある。
なぜか私とお付き合いして、別れた後になぜかその人は良き伴侶を得たり、天職についたり、とにかくその人本来の生き方を得ることになるのである。

F青年の場合は、大人しくて気立ての良い彼女が出来たのだった。私とのことがあってか、彼は浮かれることもなく傍目に見ても、落ち着いていてお似合いのカップルだった。


その後すぐに、私にも彼氏と呼べる人が現れ、それまでの迷走振りがウソのように、ストンと落ち着いたのだった。
燃えさかるような夏は終わりを告げ、人恋しい肌寒さを時折感じる秋へ、季節は移っていた。


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