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道ゆく人

知らない人に道を聞かれたり、声をかけられる人と、そうでない人がいるらしい。
私は外見的に非常に人畜無害にみえるのか、よく道を聞かれたり、声をかけられたりする方である。

知らない人に声をかけられた最初の記憶は、幼稚園か小学一年生か、ひとりで駅前の方に向かって行ったか、その帰りだったか。
ちびまる子ちゃんのようなつりスカートを着ていたと思うのだか、知らないおじさんに、「ボク、どこ行くの?」と聞かれたことである。
今なら突っ込みどころ満載の案件であろうが、当時は子どもだけでお使いに行かされたり、近所の人に声を掛けられたりしたものである。
知らない、と私が思うだけで、知ってる人だったのかもしれない。
いや、スカートはいていて、「ボク」なのだから、知らない人か。


成長するにつれ、みるみると背が伸び、高校生の頃に167㎝になった。骨太なせいなのか、動き方なのか、佇まいなのか、とにかくよく男性に間違われる。

バイクで交差点のど真ん中で右折をしようと対向車が切れるのを待っていると、頭の上から、「にーちゃんにーちゃん」と声がする。
なんだろうとキョロキョロするが、なにしろ交差点の真ん中である、幻聴か霊現象か、、、と思っていると、隣で右折待ちをしていた大型トラックの運転手が「そのバイクどこのや?ニーハンか?、、、あっ!シツレイ!ねーちゃんやったなぁ」と話しかけていたのだった。
ヘルメットを被っても女性とわかるよう、この頃は髪を伸ばして三つ編みにしてシッポのように垂らしていたのだが。


一人暮らしをするようになって、ひとり夜道を歩く機会も増えると、男性に見間違われるのは、防犯上好都合だったりする。
仕事をしながら夜間の学校に通っていた頃、夜道をあるいていた。10時を過ぎていたであろうか。
かなり向こうの方から、「にーちゃん!にーちゃん!」と声を掛けるおじさんがいた。
酔っている感じはしたが、危険な匂いはしない。距離もあったので、立ち止まって振り向くと「にーちゃん、今何時かわかるか〜?」と暗がりの向こうから聞く。時間を告げると、声で気付いたようで「おっ?ねーちゃんか、すまんなぁ。ワシなぁ、門限あるんや!おおきにありがとう!」と足早に去っていったのだった。


酔っ払いといえば、地下鉄の駅で、考え事をしながら電車を待っていた。仕事の帰りだったと思う。まだそんなに遅い時間でもなく、ホームには人がバラバラといた。
俯いて自分の足元を見つめながら、何かを考えていた。
するとわざわざ下から顔を覗き込んでくるおじさんの顔が視界に入ってきた。
「靴がそんなに気になるの?」と聞く。
びっくりはしたが、直ぐにそのユラユラとした立ち姿と呂律の怪しい口調に、ああ酔っ払ってると気がついた。なんとなくおかしくなって「酔っ払ってはるんですか?」と聞き返した。
すると、おじさんは鞭で打たれたように、ユラユラから一気に、直立不動の敬礼の姿勢にビシッとなり、「ハイ!ワタクシ〇〇カズキ!只今酔っ払っております!!!申し訳ございません!!」と叫んで、後ずさって去っていったのだった。
周りの人には私の声は聞こえていなかったようで、どんな魔法の言葉で酔っ払いに絡まれるのを撃退したのかと、見られたようで少し恥ずかしかった。


あとは、とにかくよく道を聞かれる。

介護の専門学校で、心理学の先生が、道をよく聞かれる人は対人援助職に向いている、と言っていた。
その仕事を目指す前から、道を聞かれる人だったので、目指すべくして目指したのであろう。


韓国の職人さんと職場が一緒だったことがある。チョンさんとシンさんだ。
日韓でワールドサッカーが開催される前で、韓流ブームの数年前だった。
向こうは日本語が達者だったが、2人で喋る時は当然ネイティブハングルである。
スピードラーニングみたいに直にネイティブハングルを聞くことができ、さらに分からない言葉は聞けば教えてくれるのである。
まさかこのあとに韓流ブームがやってくるとは夢にも思わず、相手の方が日本語が達者なのをいいことに、簡単なセンテンスをいくつか覚えたのみであった。

そんなある時、家の近所を歩いていると、おばあさんとお孫さんらしき男の子に道を聞かれた。2人とも韓国から日本に住む親戚の冠婚葬祭だかでこちらに来たばかりだと言う。
おばあさんは片言の日本語を話すが男の子は全く話せない。
その片言も、おそらく日韓併合の名残りで、おばあさんの年齢から想像するにかなり幼少の頃に覚えたであろう片言で、こちらが言ってることがどれぐらい理解できているか怪しかった。
ああ、こんな時にチョンさんがいたら!
しかし、当時は携帯電話もない時代、しかも聞かれた行き先は、説明しにくいところだった。
これも何かのご縁と、歩いて10分程のところへ一緒に行ったのだった。
後に高齢者介護の仕事をするようになり、同じようなことをするとも思わずに、であった。


ホームで道を聞かれるのは、地元でリラックスしていて、話しかけやすいオーラを発しているのであろうと、なんとなく納得できる。
しかし、アウェイでもよく聞かれるのはいかがしたことだろうか。

ニューヨークへ、観光で行ったことがある。
どういうわけか、他の観光客の方から道を聞かれるのだ。
ヨーロッパからと思われる金髪碧眼の方に、セントラルパークはどこだとか、聞かれるのは何故なのだろう。
一番びっくりしたのが、メトロポリタン美術館で、各部屋に監視を兼ねた係員が必ず配置されているにも関わらず、なぜかスタスタと私の方へ向かってきて、出口はどこかと聞かれた時だ。
アイアムストレンジャーね、と思いつつ律儀に答えてしまうのであった。


スマートフォンが登場して、すっかり道を尋ねられることもなくなった、と思っていたが、先日久しぶりに年配の方に聞かれて、なんとなくいろいろ思い出してしまった。

それぞれの道ゆく人から、声をかけていただくのは、やっぱりなんとなくうれしいものである。





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