マジシャン和田芳仁くんについて

写真:Facebookより引用
https://www.facebook.com/yoshihito.wada.5

ボクの高校時代の友人でマジシャンとして活躍していた和田芳仁君が8月17日(月)にくも膜下出血で亡くなった。

ボクは彼を語れるほど卒業後の彼を知らない。SNSを通じて繋がることが出来て、いずれ自然と会えるタイミングが来ると思っていた。実際住まいも近くて、ひと声かければ会えたはずだった。だがボク達は会うことなく今生の別れとなってしまった。

ボクが知っている限りの彼は、高校時代の優しそうな人柄と放課後にマジックを見せてくれたエピソード(本人は「高校では余りマジックをやっていない」とYouTube番組で話していたが、実際はテーブルマジックをやっていたよ)と、SNSで繋がったあとで知ったいくつかのマジシャンとしてのエピソードのみだ。

しかし「高校時代」というかけがえのない時代を共有した仲間というのは、どれだけ離れていても特別な存在として記憶される。

これまでも世代を問わず様々な死を経験してきた。どれも辛くて悲しい別れだったが、今回の別れはそれらのカテゴリーともまた違った形で深い悲しみを感じている。それは「後悔」と言い変えられるのかもしれない。ボク達は常に後悔しながらでしか生きられないものなのだろうか。

コロナ禍の影響で通夜も葬儀も行われない。静かに荼毘にふされたのだろう。ボクはそれが悔しい。

しかし今回SNSを通じて彼のファンやマジシャン仲間や大学の同級生の想いを読むことが出来たのは良かった。僕が見ていた和田くんは、様々な繋がりの中の1つの線でしかない。高校時代の和田芳仁という一面しか知らない。ボクが知らない彼の様々な姿を、それぞれのコメントの中から読み取れて少しだけ立体的な彼の姿を生き生きと想像出来た。

そもそも故人を偲んで集まるということは、そういう事に気づくためだったのだろう。私が知らない故人の多方面の繋がりを葬儀の時に目の当たりにし、または語り合い、死者を記憶の中に立体的に記憶されることで、思い出の故人が生き続けるということのためにあるのだと確信した。

ボクは友人からもたらされた訃報に実感が持てず、きっと誤報に違いないと思い込もうとしていた。当初誰もSNSで呟いていなくて、まだ確定した訳では無い、彼は生きていると勝手な希望を抱いていた。実はFacebookメッセンジャーで「和田くんが亡くなったという情報がきて困惑してます。」と本人アカウントに送った。返事は当然無かった。

しばらくして追悼文が少しづつアップされるようになった。和田くんがステージサポートをしていたマジシャンのセロもInstagramで追悼文を発表した。

そんな様々な人の追悼文を読む中で、やっと事実が立体化し、僕の実感になっていった。 そしてやっと泣くことが出来た。

和田くんのパフォーマンスのプロモーションVTRがYouTubeにアップされている。

昨夜やっとこの動画を観た。いや観ることが出来た。彼がステージを大事に生きてきた事が伝わった。なんで生きているうちに彼のステージに行かなかったのか。涙とともに後悔の念に苛まれた。幾度となくチャンスはあったはずなのに。

和田芳仁くん、どうぞ安らかに。

今度同窓会を開くことになりそうだから、気が向いたらふらっと来てくれよな。

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