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やきとりキングのこちら側から(0) 焼鳥屋さんが哲学するということ

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ここ数年のうちに思想、哲学などいわゆる人文のカテゴリーの本を読み漁っている。
思想の歴史を辿りたいのは山々なのだが、いかんせん時間には限りがある。今年40歳を迎える決して若いとは言えない年齢に差し掛かったぼくが出来る勉強として、ある程度絞った読書にならざるを得ない。
なので今一番尊敬している東浩紀を軸にした読書に徹している。
今朝はYouTubeにアップされている東さんのゲンロンカフェでの(ゲンロン4発売時ーちなみに今ゲンロン4をKindleで読んでいるところ)長い一人しゃべりを聞いていたんだけど、「抽象の重要性」を熱く語っていて、ぼくも非常に胸熱くなっている。
人文軽視の傾向があるのはわかっている。哲学の話題にいいねが付きづらいし、中には「現実にそぐわない」「具体性がない」などの批判コメントがつくこともままあるから。
ネットを眺めていても、行動的であるものが何よりも上位に添えられ、考える前に行動しろというような空気が醸成されている。
でも人間て言葉に動かされ、言葉に励まされ、言葉に傷つけられ、言葉に絶望する動物なのね。
ぼくは言葉に常に期待をし、言葉に愛を見出だし、言葉に生きていることを常に意識している。
だからそんな言葉の動物たる人類に興味がある。そこに尽きるのだ。
そうでなければわざわざこの年齢まで音楽なんかやらないし、自分で作詞した歌など歌わない。そこには外部からの影響で変わっていく内発性そのもの、これからの偶然の産物に関心があるからだ。
そしてそれらが僕の周りの世界に必ず意味を成してくることも信じている。
だから読んでは書き、聞いては書き、歌っては書くというサイクルをこれからもやっていくのだろうと思っている。
地域を批評的に捉えていくことは今年の目標の一つであるのは、そういうところから導かれた今のぼくの結論である。
焼鳥屋さんから見える事と、思想から導かれる普遍性をぼくの中で調理したものを、なるべく書いていきたい。(了)

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