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寝言が中国語の恐怖と快感。 「入郷随俗」 ~情熱中国大陸~


日本帰国時、我が家のメンバーから指摘されることがいくつかある。

①食事のマナー

②道路の横断

③寝言

中国での生活が長いと「入郷随俗」(郷に入らば郷に従え)の言葉通り、どうしても現地の人びとと馴染んで同化し、入り込むことになる。「生活習慣」というのは恐ろしい。ある域を超えると、考え方、行動方式、が知らず知らずのうちに、どんどん「癖」「習慣」になって身に付いてしまう。善かれ悪しかれ海外で「適応して生きていく」というのはそう言う事だ。

喋り方、食べ方、身振り手振り、等全てだ。同じ飯を食い、同化し、仲間になって初めて現地の人と信じ合え、分かり合う事も出来る。「馴染んだふりをする」のではなく、自分を主張しながら、「はみ出しながら馴染む」 は鉄則である。

しかし上記の①はどうしても気をつけていないと、間恥ずかしい思いをする事になる。「日本人じゃないから仕方ないわよね〜」等と揶揄されるのだが、アイデンティティに関わる重要事項でもあるので、なるべく定期的に帰国し、日本の「入郷随俗」を訓練するように意識している。そうでもしなければ忘れてしまう。日本人ではなくなってしまうのだ。

②は日本では道路を横断する時は「右、左、右」を見て渡る、が幼稚園で習う当たり前の事だが、中国では「左、右、左」なのである。車の運転席が左にあるので道路も日本と真逆。そして更に前後上下も見る必要がある。これは命に関わる重要事項なので笑えない。実際日本で道路を渡る時、左を見ながら車が来ないので、ゆっくりと歩き渡り始めたら、右を確認する直前に急に車が私の脇ギリギリをビュン!とすり抜け、あと少しでひかれてしまうところだった。運良く接触はしなかったが、妻君に大声で「何やってんの!!」と大声で叱られた事があった。流石にゾッとした。それ以来日本に帰国した時は、特に酒を飲んだ時などには、キチンと意識して「ここは日本。右・左・右、右・左・右と自分に言いきかせながら道路を横断している。本当である。

あともう一つ最近やっと消えてきたのだが、「10m歩いたら一度後ろを振り返る」という癖が私にはある。中国は今ではかなり安全な国になっているが、以前は治安が良いとは決して言える所ではなく、強盗や引ったくりが、昼夜場所を問わず、常に身近で発生していた。目撃したのも10回や、20回ではきかない。交通事故も1日に何回も目撃し、道端で犬や猫が挽肉のようにようになっているのをよく見かけるが、人間の死体もあちこちで見た。だから前だけ見て歩いていてもダメなのである。頭の上からコーラ瓶や大きなゴミ袋、看板や壁のタイルなどが降ってくるのである。後ろから来るのも、車やバイク、スリや強盗、臭豆腐の大八車、様々なものが迫ってくる。雨の日にバイクがバイク全体を覆う傘をさして走っているのであるが、その傘の先端が目に刺さり失明しかけた事もあった。どこに居ても、自分の身は自分で守るしかないわけだが、そういう環境にいるせいか、だいたい10mほど歩いてはいちいち後を振り返る、という癖が、自然と身についてしまった。日本で「綺麗なお姉さんでも通ったの?何かやましい事でもあるの?」などと言われ、自分のその癖に気付き、首が痛い振りをして、ストレッチの動作を装った事もあった(苦笑)

③の寝言、これは寝ている間のことだからコントロールのしようもない事なのだが、家族が「色々お仕事大変なんだね。。。」と憐れむように言う。「何で?」と聞くと、寝言で怒ったり、苦しそうだったり、笑ったりして、ミーティングなのか喧嘩なのか、一生懸命話をしているらしいのだが、何とそれが日本語ではなく明らかに「中国語」らしいのだ。

   普段仕事の事を考えたりしている時、確かに頭は中国語で思考している。スタッフとは中国語でそのまま話すし、日本窓口スタッフと話す時には、それを日本語に置き換えて話をしている。寝言が「仕事の内容」かどうかは自分ではわからないが(笑)、とにかく寝言を中国語で話すと言うのは、結構重症、いや脳に言語がしっかり浸透している証拠である。「脳が中国化してる!」と家族からは言われ、何とも言えない疎外感と若干の恐怖感(笑)、それにちょっと、自分は実験台で「どこまで行くか楽しみ」的な、怖いもの見たさに似た気分に支配される事があるのも事実である。しかしまあ言って見れば、本気で闘って生きている、何よりの証ではないか!と密かに誇らしく思っている。中国で私と行動を共にした方なら、必ず何度も遭遇する、お馴染みのセリフがある。中国人に「あなたの日本語とても上手いですね!」と言われるのだ。「いやいや日本人ですよ」と言っても信じてくれない。ある時足裏マッサージ店にお客さんと入った時、技師のおばさんに、「証拠を見せてよ」と言われたのでパスポートを見せたら、「これって日本国とは書いてあるけど偽物じゃないの?」と言われた時には閉口した(Lol)

まあ工場でもレストランでも、どこでも同じようなことを良く言われる。以前我が社に面接に来た女性が、「御社は日本人の社長と聞いたんですが、、、」と私に向かって言った事もあった。また初めて訪問した工場で、日本語通訳の人がいたりすると、たまに意地悪で、帰る直前までずっと日本人とは言わず、最後に名刺を出した際日本語を一気に喋ったりすると、「え??うそ、中国人じゃないですか!?」とビックリされる。彼が適当に通訳していた日本語の間違いや、都合のいいうそが全部バレてしまっている事に、後から気づくので、顔が赤くなったりする(笑)。スタッフは横で全てお見通し、という顔をして「うちとは正直に付き合うのが一番よ」とニヤニヤしている。殆ど自慢話であるが、私の中国語は現地人の話しているレベルとほぼ同程度、と言って差し支えないかと思う。

中国語検定も受けた事はないし、そういう「資格」も靴の裏に着いたご飯粒くらいなもので、実際生きていくのにあまり役に立たないと私は思っている。実際、喋れて、書けて、読めるのに、わざわざ試験を受ける必要はない。実は正直に言うと、検定1級などを受けて、もし落ちたりしたらかっこ悪い、と思うので受けない(笑)。ついでにもう一つ正直に白状すると、10年前、我が社の中国スタッフが、「日本語検定1級」の試験問題を見せてくれたので、お、俺にもやらせてみろ、と試しにやってみた。これがとても難しいのだ(苦笑)。文法を細かく勉強して理解していないと、引っ掛け問題に結構やられる。自己評価でも、合格するか怪しいぞ、というレベルであった。それ以来、入社試験や面接の際、日本語検定1級、2級、などの資格は、うちは一切問わない。「偽の合格証書」だって、10元でいくらでも作れるからだ。

言語というのは、実に良く「国民性」と関係しているものだとも思うのである。直接的なはっきりした中国語と、柔らかく遠回しな表現が多い日本語。中国人の思考スタイルから日本を見る事が多いので、結構面倒で大変だ。たまにバグが出て(笑)うまく変換、喋れなくなる事もあるが、しかし、不要部分、直接変換不可能な部分、要点、などが綺麗に見えてくるので非常に面白い。アイデンティティの危機に面しながらも、日本と中国を、仕事を通じて両方面から冷静に眺める事が出来るのは、私に与えられた特権だ、と思いながら密かに楽しみ、同時に大変感謝もしている。

#入郷随俗 #寝言が中国語 #道路横断は左右左

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