ドイツの教育システムは複線型

教育システム 図 ohne.001

ドイツでは小学四年の段階で成績によって振り分けられて、進学先も専攻(理系文系など)も決まるのだが、よく日本の方々に、「小学生の頃にその後の将来をきめられるんじゃ、それはあまりにもかわいそうなんじゃないんですか?」と言われる。

たしかに、小学四年生、10歳くらいでその後の人生を左右する決断をしなければいけない、、、というのは酷なように聞こえるが、これは進路の道が直結、単線型の日本をイメージしているからで、実は、ドイツのシステムは複雑な分、寄り道、乗り換え自由な複線型なのだ。

成績で振り分けられるのは、その子のレベルにあった学校に進学させるため。
日本でも受験という振り分け法で一応同じようなことは行われているが、あきらかに違うのは、ドイツでは単位がとれないと容赦なく留年があることと、勉強についていけないと判断されると、違う種類の学校(ドイツではおなじ種類の学校間でのレベルの差はない)に編入させられる。
と同時に、成績が良い子は進学系の学校に転入も可能だ。

回り道も寄り道もあり、というのもドイツの教育システムの特徴である。

例えば、何らかの理由で(やる気がなかった、とか、思春期でグレてた、とか)学力偏差値が一番低い基幹学校だけはなんとか卒業したが、その後進学せずに、精肉業の見習いとして就職したとしよう。
そんな中、職業訓練期間を経て資格試験にも合格し、一人前の精肉職人として働いていたある日突然、また学校にいきたくなったらどうするか。このような場合でも、ドイツでは国からの補助金をもらいながら、中等科、高等科にすすみ、大学へまでも行けてしまうのだ。
(これは、私の友人の実話で、彼は大学の講師にまでなってしまった。)

もちろんドイツのシステムにも欠点がないわけではないし、問題点もある。
しかし、やる気になれば、一度王道からそれてしまったとしても、乗り換え、乗り継ぎしながらでも目的地にたどり着くことができる、という点では私は高く評価しているところである。

日本のような単線システムでは、そこに乗っている限り安全だが、一度振り落とされたり乗り遅れると、その行く末は厳しい。
勉強能力のある子供は、特に何もなくても先に進んでいくものだ。
能力の差がある子供たちを無理矢理一緒につれていく、ということは実は、平等という名を借りた不平等なのではないか、とも思う。

平等でなければいけないのは「チャンスの平等」であり、全員が特急の一等席に乗る必要はない。
各駅停車の列車に乗っても、何度乗り換えてもいい。途中で休憩したって良いだろう。
最後に、「自立した大人」へのみちにつながればそれで良い。

教育という名の鉄道は今さらにその多様化の必要性が高まっているように思える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?