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【#7】 - My daily thoughts- Less than more, 消えた10年分の繋がりと記憶の先に見つけたもの

突如としてInstagtamのアカウントが停止になった。

約10年前、高3のときからずっと一つのアカウントを利用し、気がつけば900近くの人と繋がることが出来た。取り留めのない話から人生の相談事まで、多くの人との会話がダイレクトメッセージというログに記憶され、投稿した写真は僕にとって友達と過ごした時間や旅行などが克明に記憶される青春時代の大部分だ。

特に、Instagramは会ったことのある人しかフォローしない「完全プライベート領域」だった。Twitter、Facebookがビジネス・情報収集的な利用が主である僕にとっては、Instagramこそが近しい人と最も最短距離で相手を知り、自分を教える唯一の手段だったと思う。

成人式の2次会、ノリと勢いで交換するも全く連絡を取ってない人
大学生活のサークルで1時間だけ同じ空間にいた人
互いに苦楽をともにした中・高・大学生時代の仲間
遠い旅先で意気投合し、繋がった異国に住む人

そして、自分の弱みをさらけ出せる、親友と呼べる数少ない友人

近くも遠くもある人々との繋がりは、間違いなく僕が10年の歳月をかけて築き上げてきた記憶という財産であり、それを失った今は取り戻すことは出来ない。

ただそれと同時に、以前は「広い交友関係」というカオスの渦の中に居たのも事実。画面の中だけの繋がりや幸せに執着し、自分を何倍もの存在にして偽ってしまう。それが全てではないと理屈では分かっていながらも、他人に嫉妬しまう魔力をもつ。


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今回の件によって新しく気づき、発見出来たことがある。

まず、自分にとっての繋がりの定義を再確認する機会を得て、いわゆる人間関係の棚卸しを行うことが出来た。

アカウントが停止されてから新しく作り直したが、誰をフォローするべきか?そもそも誰をフォローしていたかすら、思い出すことが出来くて困惑した。

とりあえず1年間のLINEやMessenger、InstagramDMで直近やりとりした人との履歴や記憶を遡り、アカウントを見つけ出すことが出来た人だけをフォローしたり、TwitterやFacebookでも停止されて作り直した旨を報告。

そして、結果的にフォロー・フォロワーの数は以前の30分の1になった。

900人から、30人に。

思い返せば、これまで20代の大部分は繋がりを過度に追い求めた時期だったと思う。時にフォロワー=自分の価値だと勘違いし、自己満足に浸り、時には編集加工して『美しいもの』が溢れる世界や、自己開示をしておきながら「目立つこと」に霹靂し、怯える自分がどこかにいた。

そこから、ここ最近では交友関係のスタンスが「広いコネクション作り」から「Less than more (足るを知る)」と大きく変わった。そういう意味では、このアカウント停止は必然的に起きるべくして起きたのかもしれない。

だからこそ、これからの自分はこの目の前にある半径5mにも及ばないヒュッゲを大切にしていく。去る者は追わず、来る者は拒まず。精一杯の愛情と共に皆の役に立ち、笑顔にする努力をしていきたい。

個人的に連絡させてもらった人、TwitterやFacebookを見てフォローし直してくれた人。そして、これから会う人。

また気持ち新たに、よろしくお願いします!

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