Tommy's fast back-富永寛之さんとのこと-

 僕は富永寛之さん-この特別な感性をもった音楽家-のことを「先生」と呼ぶ。
 なぜそう呼ぶようになったのか、考えてみるのだが初老のちょっとしたアレだろうか、はっきりとは思い出せない。
 おそらくではあるが、先生は昔、ギター講師(今はウクレレも講師)をしていたことがあり、たまさか偶会叶ったそのお弟子さんのお一人が「先生」と呼んでいたのを耳にした途端「なるほど、トミナガさんよりは先生がいいな」と落語の登場人物のように、軽くそれに倣って「ドレミのドも教わっていないのに」先生と呼ぶようになったような気がする。

 あのころ(ちょうど20年前になる)からの、それからを、指折り勘定してみると、いろんなことが思い出される。
 地下鉄の券売機が発する「きっぷを、おとり、ください」の声に「まいど!ええ声ですね!」と返事をしたあとこちらを振り返って「FM音源にお世辞言うてやりましたよ」と仰るので「近未来がやっと来たって感じですね」と大笑いしたり、歌手の方の伴奏仕事の現場について行ったら「今日も機嫌ようやってきます」とステージに向かうも、機嫌が良すぎて代理コードを多発するものだから、ちょいちょい歌手の方が不思議そうな顔で先生の顔を見ながら歌うのだが、機嫌がいい先生はニコニコしながら「旋律、それで合うてますよ」みたいな顔でリズムに合わせて首を振っている。さらにご機嫌な先生はソロに入った瞬間、6弦の低いフレットから徐々に競り上がる、僕を含め「おおー!」と数人が盛り上がる差し込みをしてきたのだが、考えても見て欲しい。その現場はクリスマスシーズンの福岡天神の百貨店前のフリースペースであり、決してジャズ喫茶などではない。
 にもかかわらずそんなプレイをする先生にも痺れたし、おおー、と言った数人はソロが終わったあと拍手をし、互いに「今のよかったですね!」みたいな目配せをし、連帯感が芽生えた。百貨店の前の邂逅である。音楽のチカラ、キズナというものがあるとすれば、こういうことではないかと思った。

 暗い2年間は突然やってきたし、現在もジクジクと継続中である。
 いつの間にかギターを背負って、いかに後続の人に迷惑をかけないようにキャリーケースを下りエスカレーターに上手に載せられるかの努力をする生活様式を送るようになっていたので、この状況にはほとほと参った。現在も絶賛「Do or 派遣?」の間で心が揺れたりもする。
 今年に入って、梅雨まだ入らんとかいな、と思っていたある日、いつものように「逃避としての前向きな昼寝」をしようと、あなぽこだらけのスケジュール帳を放り出して子供二人(4本足でにゃーと鳴く)を呼び寄せ、ソファに横になった。

 うとうとしていると、ふと、先日見つけたSNSに絶対あげられない特殊なお店の写真を先生に送る大事な業務があったことを思い出し、子供たち(水の飲み方が見ていると気が遠くなるほど下手)に「一旦解散!」と言ってスマホを取りに行き、写真を送信。よし、子供たち(どこでもすぐ寝る)集まれー、と言いまたゴロンとなって世の中を忘れようとしたら、すぐに返信があった。

 曰く、もとい、先生のたまわく、現在ソロアルバムを作成中とのこと。
 「それはとても興味のあることです!」と英文和訳を習得中の中学一年生のような返信をしたのは、聞きたい、早く聴きたい、との想いが昂ったからであろう。そのカタコト返信が功を奏したというか気の毒に映ったのか、先生は早速音源データを送ってくださった。正直言って「えっ!いいんですか」とダウンロードしながら思ったが、聴きたい思いには抗えなかった。

 一聴して、一言もなかった。
 先生のギターは、知っている。あ、先生の音だ、フレージングだとわかる。しかしこんなに歪んだ音や、ここまでポップな音は……いや、やっぱり先生だ!とドリフのバカ兄弟コントにおける仲本工事のようにぴょんぴょんした。飛びながら、ちょっと待て、これ全部作曲もしてるんだ、と改めてもう一度アタマから聴き、この転調思いつくか、と自答してすぐ「つきませんザマス!」と居直ったり、一曲オルガンで通してもいいのに、あえて最後にギターで畳み掛ける……言葉を使わずにストーリー性を紡いでいく、これはクラッシックの技法ですよ、ネッ、近江先生!とオールスター家族対抗歌合戦のダン池田よろしく興奮してまたぴょんぴょん飛んだ。

 やがて、戸倉画伯によるアルバムジャケット、画像なども送って頂いたのだが「みんなこう思うと思う」を具現化した「これしかない」出来栄えに驚愕。
 その戸倉画伯が先日FBに投稿していた文章も「あれ、これ僕が投稿しましたっけ」というくらい先生について、このアルバムについて感ずるところが同じで、みんな同じでみんな好き、を再確認するに至った。

 ギターが上手い、というのは、心に響くか響かないかである。その人にしか出せない音だ。歌だって、絵だって、文章だってそうだ。
 込み上げるものがある。ずしん、と来て、こうしてはおれん、とそこらをてんでに走り回らせる力がある。真似をしたくなるけど、真似できない。
 先生のギターはいつだってそうだ。そして、ここが肝要なのだが、色んなところに遊び心がある。

 でも、ここまで書いておいてなんですが、このアルバムは「ギター・インスト」でありながら決して「ギター・インスト」ではない。
 何やらあがた森魚先達のような論法になってしまうけど、事実、車の中で流したところ、我がお嫁は「歌がないのに歌が聞こえる」とどこかスタジオ・ジブリめいた感想を漏らした。それは、全部の楽器が一斉に歌ってるからだ、と僕は言った。

 ギタリストであり、作曲家・編曲家としての富やん先生の初のソロアルバムに関わることができるなんて、地下鉄の券売機の前では思いもつかなかった。あの出来事も確か初夏だったように思う。
 
 夏はいつも懐かしい。何度来ても懐かしい。「Tommy's fast back」は今年の夏空に画鋲を刺すだろう。'22年の夏がいつでも思い出せるように。

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