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【サッカーの魅力】


世界各地でコロナウイルスが猛威を振るう中で、人々はコロナ前の生活を取り戻しつつあります。完全に治まってきた、というよりかは共存することを選んだと言えるでしょう。


コロナが蔓延する中で、多くの人々にとっての当たり前の日常が奪われていき、それに応じて選択が必要になったことは明白でした。


新しい私たちの生活に必要なものと不必要なもの、時代の流れやニーズによって不要なものが淘汰されていくと言った方が正しいでしょうか。


そんな中でサッカーという文化は失われる事はありませんでした。


サッカーをする事でお金を貰っている人々がサッカーを必要とするのは当然としても、ファンやサポーターの方々にも自分の生活があって、趣味の範囲であるサッカーのある生活は、優先順位としては低いはずなのです。


それにも関わらず、多くの人々の力によりサッカーのある生活は戻ってきました。プレーする選手は勿論、スタッフ、ファンやサポーター、関係者などの尽力があったからだと思います。


それは、日本だけでなく世界各国でも同様にサッカーという文化を取り戻していきました。戻っていく現場や各国のプロサッカーリーグを観て強く思うことがありました。


「サッカーは現時点で日本の国技では無い」



「国技」という言葉を使っていますが、定義はとても曖昧です。国民のそのスポーツへの認知、熱狂具合などで表されるものなどといった解釈が近いのではないのでしょうか。


コロナ禍による無観客試合で私たちサッカー選手は、試合を観にきてくださるお客さんの大切さを実感しています。サッカーは、選手とお客さんの存在があって成り立つものなのです。



私は普段、DAZNでイングランドのプレミアリーグを観ているのですが、無観客のスタジアムと有観客のスタジアムでは全く別の場所のように思わされます。

リーグ戦のうちの1試合という同じ時間であるはずなのに有観客のスタジアムでのプレーは、無観客試合の時よりも「ワクワク」を感じました。


画面越しでも9000キロ離れた空間の熱さや楽しさはひしひしと伝わります。


無観客試合に比べて、球際、プレースピード、アグレッシブさのレベルが1段階上回っておりモチベーションも高く見えました。


選手は、己の成長、名誉、クラブ、地域のために、そしてお客さんは選手の躍動、スタジアムの空気を堪能しに来ることでしょう。そのお客さんの存在が選手の背中を後押しに繋がる相互作用になっているのです。


「自分自身のために、が誰かのためになっている」



相互作用が働き、その空間にいることで幸せを享受することができる関係はサッカーが国技になっていると言えるのではないでしょうか。


プレーをする訳ではないお客さんが地元のチームの応援して、チームの戦術にああだこうだと言いながら、老若男女関わらずサッカー談義を楽しく繰り広げている日常がこの国にもいずれやってくることを私は願っています。


国の人々にとって生きがいの一部になることは素晴らしいことで、熱中する人が多ければ多い程、国技になっていると言えるのではないでしょうか。また、娯楽の観点から見たスポーツのあるべき姿ではないかと思います。


スタジアムで声を上げて応援できるようになる日々が待ち遠しいです。全力でプレーしている姿を多くの方に観ていただき、サッカーの幸せや楽しさを応援してくださる方々と共有したいです。



それでは、また。










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