旅中部編③!59カ所目は静岡県南伊豆町!

旅中部編③!59カ所目は静岡県南伊豆町!

12月18日〜21日まで滞在してました。
南伊豆町は伊豆半島の最南端にあり、町の中央は山間部で、海沿いは弓ヶ浜という砂浜があったり切り立った崖の地域がある。ここは伊豆半島ジオパークの地域ともなっており、石廊崎などの特徴的な断崖絶壁があったり、海沿いの地域の集落はその特徴的な地形に囲まれていたりする。山間部にはいくつかの集落があり、里山の生活がある。また、伊勢エビと言った水産物もたくさん獲れ、資源が豊富である。そんな地域だ。

そんな中、私は元地域おこし協力隊で今は町内の美浜地区というところで"ゲストハウスDaja'を経営しながら、NPO伊豆未来塾という移住相談・セミナー・ツアーなどを行う団体でも活動している松原さんとお話しをさせていただいた。

私は、
「こちらに来られたきっかけは何ですか?」
とお聞きした。

松原さんは、
「私は出身が大阪で5歳の時に神奈川に来て。その後大阪に戻ったけど、20代で神奈川にまた戻ってきたんです。それで、神奈川にいた時から伊豆によく釣りに来てたんです。それで会社を辞めることになってどうしようと考えていたら、母から「釣りで伊豆に行っているなら住んでみたら?」と言われて。それで伊豆で仕事を探していたんです。それで自治体のHPを見ようと思って伊豆最南端から見てみて、この時のHPをみたら協力隊があって。それから締め切り1週間前に応募して受かったんです。
 勢いとタイミングがマッチしていて。元々は大阪が好きなので大阪に戻ろうと思っていたけど、釣りが好きでよくここに来ていたので地域への抵抗は無かったし、神奈川に住んでいた時も田舎だったのでこういう地域や車にも慣れていたんです。
 ただ、ここに住み続けなければならないという考えはなかったし、助けてくれる人もすぐに出会えたのでここに来ることにしたんです。」
と言っていた。

松原さんは仕事のタイミングもあると思うが、元々は釣りが好きで伊豆に通っていたことがきっかけとなった。自分が趣味の中で訪れていた場所が良く、その場所が自分の住む場所になったのだ。

私は、
「協力隊当時はどのような活動をされていたのですか?」
とお聞きした。

松葉さんは、
「美浜地区というところを活性化してほしいというミッションだったんです。ここは過疎化していて民宿がなくなり、空き家が増えていた。6年前の当時はこの町にゲストハウスがなかったので、ゲストハウスを作ることで泊まった人と地元の人が交流できる場をつくりたいという目標があったんです。
 でも、ここでは協力隊の期間はゲストハウスはできないということだったので、切り替えてこの町でイベントをやったり、南伊豆の魅力発信をしていたんです。当時はこの町と隣町にしか協力隊がいなくて、女性隊員としても初めてだったので取材をしてもったりして、そこから発信したりもしていたかな。」
と言っていた。

協力隊当時は町てものイベントや魅力発信とともに、"みんなの夢AWARD"というビジネスプランコンテストにも参加されたりして、町外に出て魅力発信もされていて、その時にゲストハウスによる南伊豆町の活性化プランのプレゼンをされたのだ。
それが元々の目標でもあったし、協力隊卒業後の活動のテーマとなっていったのだろう。


私は、
「協力隊卒業後はどのようなことをされているのですか?」
とお聞きした。

松原さんは、
「卒業後は地域コーディネーターのような仕事をしていて、行政のスケジュール管理や下請けをしていて。そのあとは、卒業後からゲストハウスの物件が決まらなかったけど、卒業1年目の秋に物件を紹介してもらって買ったんです。それで、その年の12月からゲストハウスの準備を始めて、次の年の7月にオープンしたんです。今から1年半前ぐらいかな。それからゲストハウスをやっているかな。」
と言っていた。

また、現在松原さんはゲストハウスをだけでなく、"みんなの夢AWARD"のサポートを行なったり、大学と連携して講演なども行なっている。

松原さんは、卒業後に自分の目標だった
"ゲストハウスをつくって泊まった人と地元の人が交流できる場"
を実現してきているのだ。
まだ、ゲストハウスができて1年半。今も交流はあると思うが、今後もっと地元にも外にも浸透していき、より多くの人が交流できる場として利用していくのだろう。
実際に松原さん自身も、ここでの交流から新たな繋がりが生まれてもいる。

こうやってこの場所が地域の起点になり、民宿がどんどんなくなっていってしまったこの地域でも滞在・宿泊する人が増えていくことで、前あった"にぎわい"がここに生まれてくるのかもしれない。