旅中国編!50カ所目は鳥取県智頭町!

旅中国編!50カ所目は鳥取県智頭町!

11月7日〜9日まで滞在してました。
智頭町は町の面積の9割以上が森林で、町の周りを大きな山に囲まれている。その豊富な資源もあり、この町は昔から林業が盛んな地域だ。また、街中は元々宿場町であり、現在は「智頭宿」として宿場町の街並みを見ることができる。そんな地域だ。



そんな中、私は元地域おこし協力隊で現在は役場や林業関連のお仕事をされている、細山さんにお話しをお聞きした。

私は、
「こちらの来られたきっかけは何ですか?」
とお聞きした。

細山さんは、
「ここに来る前は川崎に住んでいて塗装屋をしていて、住む場所を変えようと思ったのは2011年の震災がきっかけ。それで、長野から西の地域を見ていてさ。奥さんの知り合いで岡山の人がいて移住相談会に行ったりもした。その中で、新橋にある岡山と鳥取が一緒になってやっているアンテナショップで行われた鳥取県のイベントに参加した時に"森のようちえん"の話をきいて、2週間後には実際に行ってみたんだ。僕もいろんな相談会で話を聞くうちに、自分で自然栽培や無農薬野菜を作りたいと思っていて。それでここに来た時にサドベリースクールの先生に「自然栽培をやりたい」と言ったら、「一緒にやろう」と言ってくれてさ。これが結構大きなきっかけかな〜。」
と言っていた。

2011年の東日本大震災。
これが住む場所を変える1つのきっかけとなっている。
これまで会った人の中にもこの震災がきっかけで引っ越しを考えたという人は多くいた。
やはり、このような大きな出来事が人を動かすきっかけになっているのかもしれない。

私は、
「こちらに来られてからと、その当時の活動について教えてください。」
とお聞きした。

細山さんは、
「僕は「しんでん集落」というところに協力隊として入ったんだ。活動は集落の草刈りや週末のイベントの手伝い、無農薬の米・野菜作りをしていたよ。2年目からは耕作放棄地を畑に戻す活動をしていて、全部掘ったり獣害の柵を立てたりしたかな。あと、この集落は"集落型NPO法人"というものを日本で初めて作ったりしたので、その視察対応などもしたかな。」
と言っていた。

活動として主なのは集落支援である。その上で自分がやりたいと思っていた無農薬の米・野菜作りをしていたようだ。

私は、
「協力隊の卒業後はどのように暮らされていますか?」
とお聞きした。

細山さんは、
「卒業後はバイトで山へ行ったり酒蔵に行ったりしていたよ。山では林業をする上での作業道開設をしたり植林をしたりしている。あと、"智頭の森の学びや"という若手自伐型林業の団体に入ってユンボの免許を取ったり、一緒に活動したりしたかな。この町は林業の町なのでやってみようと思って。
 今は役場の宿直をメインにしていて、それが終わると林業の手伝いをしにいく感じかな〜。」
と言っていた。

そして、細山さんは
「今思っているのは、気持ちよく働ける場所で働こうと思っているかな。山は気持ちの良い人ばかりなので、山は続けていられるんだ。」
と自身の思いを語った。

細山さんは現在に至るまでに様々な職の経験をされている。そうしてきた中で、今の仕事はとても楽しいと感じている。それが思いが私にも伝わってきた。楽しそうに話をしてくれたり、山の話をしている時はもっと楽しそうだったし笑顔だった。

暮らすこと、生きることを本当に楽しんでいるのだなと感じた。
私もそんな生き方がしてみたい。