旅関東編②!57カ所目は茨城県常陸太田市!

旅関東編②!57カ所目は茨城県常陸太田市!

12月11日〜14日まで滞在してました。
常陸太田市は茨城県の北部に位置し、栃木県、福島県との県境にある町だ。南北に長い地形をしており、南部地域に住宅街があり、他にもスーパーや飲食店が国道沿いに並び、その周りには田畑が広がっている。北部地域に行くにつれてだんだんと山深くなっていき、山間部には日本一高いバンジージャンプがある竜神大吊橋があるなど、観光スポットとしても有名である。そんな地域だ。


そんな中、私は常陸太田市の地域おこし協力隊でカメラマンの塚田さんにお話をお聞きした。塚田さんは茨城県下妻市出身。
今回、都内で行われたいばらき暮らしのセミナーに塚田さんがいらっしゃるということだったので、場所は常陸太田市内ではなく都内でお話しをお聞きした。

私は
「ここに移住してきたきっかけを教えていただけますか?」
とお聞きした。

塚田さんは、
「ここにくる前には東京でカメラマンをしていて。その時から嫁と教育のことについては良く話し合っていて、なによりも子どもの教育を考えていたんです。それで、地元には帰らずに住む場所は別だと思い、そういう場所を探そうと思ったんです。
自分はポツンと一軒家のような場所に住みたいと思っていたけど、嫁はあまり不便じゃない方がいいと思っていたんです。
それでいろんな地域を探している時に運転に疲れてふと車を降りたら、その時"ここだな"と思ったんです。それが常陸太田市だったんです。」
と言っていた。

「ノリのような感じで決まった」
と塚田さんは言っていた。

自分にあった場所、環境、タイミングが全てマッチしたのだろう。
自分なりの感覚も大切だということがすごく感じられた。


そんな塚田さんが移住をする時について、
「僕はノリのような感じで決まったんです。でも、これは他の人にオススメすることはできません。自分が移住をするまでに現地の友達を1人でも作っておくと気持ちがすごく楽だと思います。実際に移住の時は仕事と住宅を考えることが大変だったんです。でも、知り合いがいれば地域のことを聞けたりして、心がすごく楽です。また、その人からつながりが増えていくこともあります。なので、役所や協力隊、地域の人を訪ねて輪を広げておくことが移住の時には大切だと思います。」
と言っていた。

移住する前にその地域のコミュニティの中に入っておく、ある程度準備をしておくことも移住においては必要なことなのかもしれない。


そんな状況があったからなのか、塚田さんは
2年前ぐらいからコミュニティを作りたいと考えている。
「当時、コミュニティを作ることに対して難しく考えていたんです。でも、難しく考えるのではなく、ただ遊ぼうとかすれば良いということに気づいて。そうすればコミュニティができるんだなと。
それでもコミュニティに「入る」というのは違うと思うんです。自分から入っていかなければコミュニティやつながりは作れない。でも、入ることができ気が合う人がいれば爆発的につながりは広がっていくんです。僕自身もFacebookの友達も多すぎるぐらいだし、今はお試し住宅"べんちあん"に来た人とも一緒にお風呂に入ったりするんです(笑)。」
と言っていた。

コミュニティに入ればつながりも増え、その地域での住みやすさは一気に変わる。
実際、塚田さんもコミュニティに入ることで一気に変わったようだ。
でも、そのコミュニティに入るまでがなかなか難しいのかもしれない。
そんな経験もあるからこそ、塚田さんはこの地域に新たなコミュニティを作りたいと考えているのだ。そして、そのコミュニティを「遊び」を通じて作っていこうと思われているのだ。


今回、塚田さんとお話をしている中で"遊び"という言葉がよく出てて、"遊び"というものをとても大切にしているのだろう。

私は、塚田さんがなぜ遊びを大切にするのか、とても気になっていた。
なので、私は
「"遊び"ということをよく言っていましたが、塚田さんが生活する上で大切にしていることはなんですか?」
とお聞きした。

すると、塚田さんはこんなことを話してくださった。
「人生の念頭においているのは楽しむこと。その楽しみがあるから頑張れる。本当に楽しいことをやるには、楽しくないこともやらなくちゃいけないけど。これは子どもから成長してくると感じるかな。何をするなり、面白いことを作っていきたいと思っていて、これは子どもの時から変わらないよ。
 僕は楽しいことのストライクゾーンが広くて基本的になんでも楽しめるから、これがラッキーだったかな。面白いと思うことはいたるところにあるし。ただ、その土台の想像力がないから、その想像力がかき立てられるところが楽しいかな。」
と言っていた。


それに続けて、町と自然の環境の違いによる想像力の話をしてくださった。

「町よりも自然環境の中の方が想像力がパカッと開く。写真の仕事をしていても、都会と自然では発想が変わる。
 写真には2種類の撮り方があって。ひとつは、目の前にあるものをいかに美しく撮るか。もうひとつは、自分の頭の中にあるものを具現化するかということ。2つ目は、例えば女性を対象とすると、その人はこういう人だなと感じて頭の中でイメージを作って撮ることで、その人が明るい人なのに証明写真みたいに撮ってもその人のことはわからないよね。こういう撮り方があるんだ。
 僕はこっちにきて、この2つ目のようなイメージが湧きやすくなったよ。それに発想の量も増えたしね。」
と言っていた。

塚田さんの遊びの根底には"楽しむこと"がある。楽しむことで自分の想像力や発想力をより伸ばしていく。
カメラマンとしても活動する塚田さんは、その想像力がこの環境に入った後から変わったと言っていた。
生活する環境を変えてかつそこで楽しむことで今までとは違った何かが生まれてくるのかもしれない。


そして、塚田さんは最後にこんなことを言っていた。
「僕はまだまだ成長していっている感じがある。発想の量が増えたし質も上がった。これはカメラマンとしてだけではなくて、人生において。まずは発想が大事だと思う。もっとこういう遊びがしたい、こういうことをしたら面白いなとか発想するようになったんだ。
 人間として生きることに関しては、いろんな人から怒られることが多いし、地域の人や娘からも教わることも多い。本当にいろんな人から教えられる。こうやって徐々に暮らしは変わってきているけど、太田に来てからはより良い方向への変化のスピードが上がったよ。これは周りの人や自然環境のおかげだね。」
と言っていた。

塚田さんは現在35歳。
でも、今でもまだまだ自分は成長していると実感している。
それは、周りの自然環境や地域の人、はたまた娘さんといった家族までもが自分に変化をもたらしてくれているからだと。

"住む場所を変える"という決断をして環境を大きく変えたこと、今までの生活も変わりより良い方向に進んでいくのかもしれない。


そして、塚田さんは初めにこんなことを言っていた。
「僕は下妻には何もなかったので、遊びを自分で作ってきたんです。それでも、ものを作る想像力がついてきて、今はそれが本当に良かったと感じるんです。だから娘にもそうなってほしいと思っています。」
と。

自分が子どもの時からつけてきた想像力。その想像力を娘にもこの場所でつけて欲しいと思うと同時に、この場所ならその想像力をつけることができる生活ができると思っているのだろう。
それがこの土地の魅力なのかもしれない。