源翁禅師のことども その三

玉泉寺公園 源翁禅師のことども その三
玉泉寺の源翁禅師については、その没年など異説もあって、不確かな点もあるが、それは後日に譲り、今はそのままにして先に進みたい。
 玉泉寺のご本尊は、如意輪観音である。これは「町誌」下巻(一九六〇、昭和三五)中の、次の記事による。「……本尊は如意輪観音で」云々 (「清池山玉泉寺の廃寺」の項)

 ちなみに、含粒寺の本尊は、「千手観音」で、いずれも六観音もしくは七観音の一つである。なお、玉泉寺の観音菩薩は廃仏毀釈の難をのがれて上名の何某の宅に避難されておられたが、昭和一三年(一九三八)の大水害で流失の憂きめに遭っているのはかえすがえすも残念なことである。
 玉泉寺公園に何基の墓が残っているのか確認できていないが、以下に「歴代住職」の名を記しておく。
 二世・齢延大和尚、三世・峯山溪大和尚、四世・球翁、五世・智叟舜、六世・華翁守英、七世・在岸宗徹、八世・関室良哲、九世・鑑国共察、十世・曹補桃源、十一世・越山淳輝 十三・任州昌運、十三世・的意自的、十四世・德岩全切、十五世・鉄山良紋、・十六世・本成源龍、十七世・翁源補(以上は「町誌」より収載した)
 十七世・翁源補が玉泉寺最後の住職である。

如意輪観音
 さてこの寺の本尊は如意輪観音で、そのご本尊は、廃寺の後にもなお、某氏宅に安置してあったという。が、 惜しいかな、 昭和十三の大水水害に遭い、そのときに流出してしまったという。

 この地は高台に登れば豊かな畑地が広がっているが、低地は一般に水の恵みにつつまれている。しかし、昭和十三年(一九三ハ)に発生した水害による水の脅威については、幼いころ、ここには村があった、かしこにも人屋があったが、 今はない、などと、出水や、堤防の決潰で消滅してしまった聚落のことなどをよく聞かされ、その話は今でも耳底にのこっている。

 さて、この知意輪という観音さまだが、その特徴としては、三昧耶形(サンマヤぎょう)として、如意宝珠 (チンターマニ) を手にしておられるということ。種字はキリークであ ると説明される。
 如意とは「意のままに」ということで、宝珠は「宝の珠」 のこと。

*三昧耶形……仏さまの誓いの内容を、さまざまな持ち物を用いて表現(象徴)したもの。薬師如来ならば、 薬壷素 (ヤッコ) =くすりつ ぼを持っておられるなど


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