ゲンノウの産みの親:源翁禅師

吾平玉泉寺公園・源翁禅師のことども その二

ここで取り上げる源翁禅師とは、石工さんが持っているあの石割り金槌のゲンノウのうみの親ともいうべき人物である。

◇寺院建立の地◇

かつてこの地(吾平町上名福師田)にあった寺院は
その山号を「清池山(せいちさん)」という。
さらには寺号を「玉泉寺(ぎょくせんじ)」というのであるから
玉のような清水(しみず)がコンコンと湧(わ)きいずる泉のある寺
という意からとって付けられたのだろう
一重にも二重にも清い水に恵まれ、つつまれ、守られたところ、
 「清池山玉泉寺」
は、そんな意味合いから生まれた名付けでもあろうか


その昔、この地をおとのうた晩年の源翁(げんのう)禅師の眼に映じたものは
今日のわれわれの感動以上のものがあったのだろう
師は、山紫水明(さんしすいめい)のこの地に、はじめて降り立ったとき、
これから建立(こんりゅう)するであろう寺の山号(さんごう)を、すかさず
 「清池山」
とつぶやき、さらに
 「玉泉寺」
とことばを継ついで、そう命名したことであろう
全国津々浦々(つつうらうら)を経へめぐり、巡錫(じゅんしゃく)した禅師の、そのときの感動をおもう
湧(わ)き水というものは、吾平の地の多くの処もそうだが、
切り立った崖(がけ)の下に多く見受けられる
ここ玉泉寺のあるところも、
後方が崖地(ハケ)で遮さえぎられている
いったいに吾平には湧水地(ゆうすいち)が多く、
豊かに湧きだす水は
見る者の眼を清々こすがすがしく洗ってくれ、
潤沢(じゅんたく)な水はさらに、
乾かわききったこころをも和ませてくれる


  ◇如意輪観音◇


さてこの寺の本尊ほんぞんは如意輪(にょいりん)観音かんのんで、
そのご本尊は、廃寺の後にもなお、
上名の某氏宅に安置してあったという。
が、惜しいかな、昭和十三年の大水害に遭あい
そのときに流失してしまったのだという
吾平の地は高台に登れば豊かな畑地が広がっているが
低地は一般に水の恵みにつつまれているようにおもう
しかし、昭和十三年(1938)に発生した
水害による水の脅威については
幼い頃、ここには村落があった、かしこにも人屋があったが、今はない、などと
出水(でみず)や、堤防の決潰(けっかい)で消滅してしまった
聚落(しゅうらく)のことをよく聞かされれ
その話は今でも耳底にのこっている

さて、この如意輪という観音さまであるが、
その特徴としては、
三昧耶形(さんまやぎょう)として、如意(にょい)宝珠(ほうじゅ:チンターマニ)を手にしておられるということ。
種字はキリークである、と説明される。
如意とは「意のままに」ということで、宝珠は「宝の珠(たま)」のこと
*三昧耶形……仏さまの誓いの内容を、さまざまな持ち物を用いて表現(象徴)したもの。薬師(やくし)如来ならば、薬壺(やっこ)=くすりつぼを持っておられるなど

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