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【番外編】駅のグランドレベルを考える。

全国様々な駅を利用していると、ついつい「この駅は使いやすいな」「この駅は駅前が寂しいな」「この駅はまだまだポテンシャルあるな」などと考えてしまいます。
それは単に都会だから・地方だからではなく、印象の良い駅はどんな場所にでもあります。では、そう感じさせる理由はなんだろう?と考えた時、『グランドレベル』(=人間の目線高さで見た時の印象)だと気付きました。

そこで今回はいくつか、僕が個人的に優れているなと感じた駅前空間をピックアップして、それぞれの良いところを考えてみようと思います。

はじめに:駅はまちの『玄関』であり『顔』である

普段からまちや都市空間などで頭がいっぱいでない一般的な方々は、駅はあくまで鉄道やバスを利用する場所、普段何気なく通過する場所、という印象をお持ちかもしれません。
もちろん普段利用するだけであればその考えで十分だと思いますし、普段の利用に不自由がなければ問題ないものだと思います。しかし、他の地域から来た人にとっては、駅はそのまち、その地域の『玄関』であり、その人を迎えてくれる最初の『顔』なのです。

したがって、ここで僕が申し上げたいのは、まちの『玄関』であり『顔』である駅は、規模の大小に関わらず洗練されてあるべきだ、ということです。
ただ、これにはもちろん例外というか、一概にそう言えない駅もあることは承知しています。例えば山奥の秘境駅や利用者数が一桁の駅などでは、そんなこと言ってられない、というのは当然でしょう。

しかし、例えば人口30万人を抱えるまちの代表駅が、殺風景なハコ型駅舎でしかなかったらどうでしょうか?人口が30万人もいれば、そのまちにビジネスや観光(知人を訪ねる等も含めて)での来訪も少なくないはずです。
そんなまちの玄関が、送迎の車やせいぜい1〜2路線のバスが来るだけで、人通りも市民の活気も感じられない殺風景な空間だったらどうでしょう?

「あれ、私ってそこそこ大きいまちに来たはずだよな…?」
「このまちの人たちはどこにいるんだろう…?」
「なんだか寂しいまちだな…」

きっとそう感じさせてしまうはずです。
もしかしたら自動車の交通分担率が極めて高い地域で、鉄道は実態に則していないのかもしれません。でも、地域外から来る人が全員車で来るわけではないし、学生や高齢者などの自動車利用が難しい人だって多くいるはずです(人口30万ですよ!)。
なんでも建築美を求めなくて良い。高さがなくたっていい。商業的でなくたっていい。
ただ、駅という空間が、利用者にとってホッと一息つけたり、初めて来たのに安心感を覚えたりする、温かみのある空間であってほしい。

そんな気持ちを漠然に持って色んな駅を巡ってみると、面白いです。
というわけで本編スタート(笑)(長い)

ケース1:芦原温泉駅(福井県あわら市)

駅前交差点にはセットバックされ、歩行者空間に開放感を与えている

今回のカバー写真にもなっている駅。この駅は初めて降り立った瞬間、感動のあまりその場に立ち尽くしてしまった。

2024年春の北陸新幹線延伸開業に合わせて、2023年に再整備された芦原温泉駅。駅舎裏側に見える高架駅が新幹線駅で、写真はその西口。

弧を描くファサードに地産材を使った内装、圧倒的な開放感と洗練さを演出するガラスカーテン。

駅前空間として大きく開かれた空間。高い天井とガラスカーテンによる圧倒的な開放感。ガラスカーテンは悪天候時には風雨を防ぐ役割もある。そして格子状の木質柱。地元の木材を使用しているらしい。

少々見えづらいが、中には椅子とテーブルが置かれ、列車やお迎えまでの待ち時間に学生が勉強したり、お喋りしたり、ビジネスマンがひと仕事したり。開放的な空間だからこそ、何をするにも心理的障壁を感じない。
本当の意味で「開かれた駅前空間」と呼べるように感じた、デザイン性の高い素晴らしい駅である。

ケース2:浜松駅(静岡県浜松市)

浜松駅前の広場はいつも多くの人で賑わっている

浜松駅は降りるたびに毎回驚かされる。航空写真で見ると何やら複雑で、とても素晴らしい駅前空間が繰り広げられているようには思えないが、実際に降り立つと、遠鉄百貨店の周辺に広々とした歩行者空間が確保されており、夕方になると路上ライブやパフォーマンスによって賑わいが演出されている。

遠鉄百貨店に設けられた広大な吹き抜け。
商業施設の一部分がこのように開かれた空間は、ここが東海地方で最大規模。

ここで特筆すべきは、遠鉄百貨店の地上部分(写真2枚目)。百貨店の中央部分のほぼ全フロアを吹き抜けとする、贅沢すぎる空間が設けられている。僕は東海地方において、ここまで贅沢に空間を使った場所を他には知らない。
また、この場所はJRと遠鉄を結ぶ動線としても機能しており、僕が訪れた際にも多くの人がベンチを利用して一休みする風景があった。

欲を言えば、本館(写真奥)の1階部分が壁面中心となっており、施設とのつながりが希薄になっている点が寂しい。例えばここがガラス張りで店内の雰囲気が伝わるような作りになっていて、中央部に出入口が設けられていれば、吹き抜けを通行する人に入店する動機を生み出したかもしれない。
歩行者空間とお店、施設というのは、そこにある障壁をなるべく薄くして、シームレスな空間関係にするのが理想的である。

ケース3:池下駅(愛知県名古屋市)

名古屋市の地下鉄単独駅としては最大規模の駅となる

名古屋の地下鉄単独駅としては最大規模となる池下駅。周辺では近年、再開発によりマンション建設が進み、人口も増加しているよう。駅自体は昭和35年の地下鉄東山線開業時からあり、駅直上の市営住宅は昭和55年からあるので、市営住宅や駅構内、バスターミナルからは年季を感じる。

「チカシン池下」はいわゆる駅ビル的な役割。ドラッグストアやファストフード店が入居する。
高い天井、大きく描かれた壁画、アクセス性の高い駅ナカ店舗。

地下鉄の駅というと、地下へ通ずる出入り口が歩道にピョコッと出ているだけの場所が多いが、この池下駅は違う。
名古屋の地下鉄駅はよく地下鉄駅、市営住宅、バスターミナルという3点セットとなっていることが多く、その多くは地下が地下鉄駅、地上1階がバスターミナル、2階以上が市営住宅という構造となっている。
しかし、池下駅は1階の半分がバスターミナル、もう半分は「チカシン池下」という商業施設になっている。駅の改札は地上にあり(これだけでも珍しい)、その周辺に商業テナントがいくつか。「チカシン池下」は多くの人が住まう駅南エリアまでの動線上にあり、通勤・通学客による需要も手堅い。

バス乗り場は、バス乗り場だけ。そこに面したテナント等はなかった。

名古屋の地下鉄駅における商業施設(商業機能)は、バスターミナルの乗り場に面した区画であることが多い。だが、池下駅はバス乗り場に面した区画は一つもなく、全て歩道に面している。
バス乗り場に面した区画は、どうしてもバスを利用する人以外からは見えづらく、認識されづらい一面がある。しかし、池下駅のように全てが歩道に面していると、バスを利用する人でなくてもお店や施設の存在を認識しやすく、立ち寄る機会の増加が期待できる、という点が好印象である。

2024年時点で築44年が経過する建物だが、昭和期の名古屋におけるTODの走りと呼ぶに相応しい施設だろう。もう少しだけこの昭和レトロな雰囲気を堪能させてほしいところである。

まとめ

以上の3つの駅は、僕が訪れた駅の中から特に印象に残っているものから取り上げた。もちろん、この他にも秀逸なデザイン性や周辺の街との連続性を有する駅はいくつもあり(広電宮島口駅はすごいよね)、訪れたことのある場所もあるが、その多くが、僕がまだ駅デザインや駅の連続性などに興味を示す前に訪れたものだったりするので、手元に写真などの資料がない状態である。

ただ、この3駅だけからでも言えることは、「駅前の賑わいや人の営みの有無は、そのまちの活力の有無の写しである」ということである。いくら人口減少や高齢化、過疎化が進むまちであっても、駅前に人通りや賑わい、人の営みがあれば、そのまちに来た人は「このまち、まだ頑張っているんだな」とポジティブに捉えるであろう。

冒頭でも言ったことだが、駅はまちの顔である。外から来た人を迎え入れ、出て行く人を送り出す玄関である。そこが、人の手も入っていない、造られて何年も放置されたような印象を与える無味乾燥なハコモノであっては、誰がその駅に愛着を持つであろうか。

多くの行政は、「駅」という施設が持つポテンシャルをかなり軽視しているように感じる。駅前は閑古鳥が鳴き、国道や主要県道に沿って公共施設や商業施設を配置する都市の、なんと多いことか。駅を利用する人が少なからずいるのならば、駅を周辺含めて整備するのは普通ではないのか。そして、そうした整備に力を入れていない都市ほど、やれ鉄道の利用が減っているだの、公共交通の利用を促進したいだのと嘆く。
都市の中で本当に公共交通の市民権を確保したいのであれば、そこに然るべき投資をしなければならないのは自明だ。公共交通が使い物になっている都市は、どこも例外なく公共交通に投資をしている。利便性の確保に事業者と協働して努めている。それは紛れもない事実なのだ。

より多くの行政が、「駅前空間」というものと真剣に向き合ってくれることを願っています。

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