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高幡不動尊金剛寺 参拝記 2022年

2022年12月17日、私は高幡不動尊金剛寺(以下、高幡不動)を訪れた。

高幡不動は、平安時代初期に慈覚大師円仁が、清和天皇の勅願によって当地を東関鎮護の霊場と定めて山中に不動堂(図01)を建立し、不動明王をご安置したことに始まる([1])。

図01.不動堂。

仁王門は私を含む参拝客を迎えてくれた(図02)。

図02.仁王門。

総本堂である大日堂は昭和57(1982)年から5年の歳月をかけて根本改修工事が行われたものである(図03)。

図03.大日堂。

大日堂の前に、山門が構えている(図04)。

図04.山門。

聖天堂(図05)と大師堂(図06)は、安永8(1779)年の大火以来230年ぶりに再建されたものである。なお、聖天堂では、紅葉が美しかった。

図05.聖天堂。
図06.大師堂。

満5年の歳月をかけて竣工した五重塔は、平安初期の様式を模した塔である(図07)。

図07.五重塔。

上杉憲顕の墳は、上杉憲秋(上杉憲顕)を祀るものである(図08、[2])。

図08.上杉憲顕の墳。

高幡不動は土方歳三の菩提寺ゆえ、近藤勇・土方歳三顕彰碑(図09)や土方歳三の像(図08)などが展示されている([3])。

図09.近藤勇・土方歳三顕彰碑。
図10.土方歳三の像。

紅葉之碑(図11)と兄弟歌碑(図12)では、紅葉が美しい姿を呈していた。

図11.紅葉之碑。
図12.兄弟歌碑。

私は参拝客として、高幡不動を訪れることができたことを嬉しくかつ有り難く思う。



[1] 高幡不動尊金剛寺.“沿革”.高幡不動尊金剛寺 ホームページ.https://www.takahatafudoson.or.jp/?page_id=4681,(参照2022年12月24日).

[2] 株式会社TOLEDO.“上杉憲秋(上杉憲顕)とは 再起を賭けた室町時代の武将”.武将人物情報・史跡情報「歴史観」 ホームページ.歴メン情報.武将.2021年05月31日.https://rekan.jp/2258/,(参照2022年12月24日).

[3] 高幡不動尊金剛寺.“土方歳三”.高幡不動尊金剛寺 ホームページ.https://www.takahatafudoson.or.jp/?page_id=26,(参照2022年12月24日).

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