いきなり田嘉里(R3.1.12)

 多くの沖縄愛好者のように、旅行で訪れるうちにすっかり沖縄病にかかってしまった私たちは、栃木県からやんばるに移りたいと知人のつてを頼って家探しをお願いし、じきに大宜味村田嘉里の貸家が空く、古いけど住めるよーと知らせを受けた。へたに選り好みするより流れに身を任せようと、自分たちでは下見せず情報もあまり集めないまま移ることを決めた。こうして2004年、田嘉里ライフが始まった。
 7月頭の移住だったが、秋には夫の陶芸の展示会が大阪で組まれていた。工房の場所の当てもなかったが、区長さんが当時土建業を営んでいたAさんにすぐにかけあってくれ、Aさんの奔走のおかげで工房の土地を借りられることになった。工房の建築も請け負ってくれて、とんとん拍子に事が進んだ。あとから振り返ると呑気でスリリングな移住計画だったが、他所から人を入れることは将来必ず地域にプラスになるという信念をもった区長さんとAさんに出会えたことが大きかった。今でこそ移住者が珍しくない田嘉里だが、当時は私たちだけだったから、工房をつくったのはちょっとした変化だったと思う。
 これを書きながら、自分が売店をしているのは、面白そうという好奇心のほかに、実はあの時の区長さんとAさんの好意と期待に応えたいという気持ちがひそんでいたことに気づく。実際、自分はその好意に見合ったことができていないと折に触れて焦りを感じたりもしてきたから、期待されるというのはこんなふうに人を動かすこともあるのかと他人事のように感心したりする。
 このAさんは地主さんとしても助言してくれる先輩としても何かとお世話になっている方だが、この16年のうちに幾度も困難に直面されている。そのたびに、いかにAさんがジンブンがあって行動力がある人か、他人を多く助けてきたか、という話を周囲から聞く。ふだんは小柄で酒に弱い、けれど飲むとぶっきらぼうに地域愛を語るおじさんというその風情を、ヤンバル・クールと言ってみる。

 

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