いよいよ共同売店(落ち穂R3.2.13)

 いつ売店の話になるの?と首を長く待たれている方も多いと思う。などと自分で勝手にハードルを上げたりして、このテーマについてこの場で書くことに緊張してしまう。

 共同売店は人々の関心がとても高いと感じる。メディアの取材を受ける機会も多いしSNSの反応も上々だ。都市部ではほとんどみかけなくなった、いわゆる昔ながらの商店。値段も高いし品ぞろえも変わりばえがしない、機能性だけでいうとスーパーにもコンビニにもかなうはずがなく、それゆえに時代に淘汰されてきた存在が、北部では「共同売店」として集落のなかに粘り強く残っている。お客さんのほとんどが顔見知りで、お互いに自然に声を掛け合う、古き良き日々のノスタルジーに心揺さぶられる場所。

 ここで改めて共同売店についてさらっとおさらいしてみる。共同体研究者の宮城能彦氏によると、今から100年以上前に、国頭村奥で産声を上げる。貨幣経済がやんばるにも広がり生活用品をお店で買うようになっても、現金収入を定期的に得る方法がほとんどなかったなかで考え出された相互扶助のしくみ。集落の人全員が出資し株主となり、その代表が売店を運営していた。資金も道路もほとんどない時代に、知恵と協力による「自助」の精神でたくましく生きてきたやんばるの人たちの生活の象徴である。

 現在残っている共同売店の経営方式は時代の流れとともに変化していて、たとえば田嘉里では区と個人が請負契約結び、内実はほぼ独立採算制である。共同売店での買い物がライフスタイルの一部である方たちの高齢化が進み、つまり利用者や利用額が減少し、どこも経営はここ数年で急激に悪化しているようだ。閉めてしまうところも多い。

 だがそんななか、共同売店をどうにかしようという動きがあちこちで活発になっている。それは、共同売店がなくなってしまうと、なにか大切なものも失われてしまうという漠然とした感じをいだき、その「感じ」を原動力に行動する人が今のこの時代の潮目に顕在化してきているということなのかな、と思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?