かりそめの店主(落ち穂R3.4.3)


 所用でコザの街角に赴き作業着にマスク姿で立ち話をしていると、杖をつき視力も低下しているだろう通りすがりのご老体に「ちゅらかーぎーやさー」と話しかけられる。齢50の乙女はこれで36時間くらいウキウキできる。やんばるの集落で街角と縁なき日々を送っている者からすると、ここは「ストリート」だなと感じる。

 官能都市という考え方がある。ものすごく面白いのでぜひ詳細を検索していただきたいが、無理に単純化して言うと、大手不動産の論理で再開発される退屈な都市に対し、人が豊かに楽しく暮らす魅力的な都市のことだ。

 その条件としていくつか項目がある。共同体に帰属している、食文化がある、自然を感じられる。これらなどは田舎に優位性があり、おおっと思う。匿名性がある、ロマンスがある、機会がある。こちらは都会ならではの現象だ。久しく感じたことも考えたこともなかった田舎の劣位性。

 かりそめながらも少なくとも現在は店主である私の思いは、集落というものの将来にどうしても及んでしまう。集落を荒らされたくない。お年寄りが驚くことをしてほしくない。うわさ話、悪口、干渉、批判。濃縮された同調圧力。若者不在。鬱屈とした田舎の影の部分。どのような未来なのだろう。

 移住者が狭い集落の良さを抽出して享受できるように、かりそめの共同売店で徹底的にいいとこどりをしてみたい。かりそめ店主の夢想。自然とともにあり人の顔が見える、いろんな入り口から人の往来が自然に生まれる、ふきだまりに風穴があく、ハプニングが起こりうるストリート感、時にはエロティズムもあって、なんならゲイジュツも、それから、それから・・・。

 必要なのは楽しむ能力と、狭い社会の論理にからめとられないちょっとした開き直り。

 集落のある方は、売店で盛り上がった南米旅行の話がきっかけで、他地域から来ていたお客さんといっしょに旅行に行く間柄になったという。これなんてとてもストリート的じゃないか。

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