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テクノロジーの進歩に伴う痛みとこれからについて〜AlphaGoと李セドル九段との5番勝負を通して感じたこと〜

今回、自分と深く関わりのある囲碁で大きなテクノロジーの力を目の当たりにして大きな衝撃とそれに対して色々と思ったことがあったので、この機会に言語化してみようと思い、久しぶりにブログを書いてみることにしました。稚拙な文章で恐縮ですが、一読いただけると大変嬉しいです。

今回は下記のような流れで書かせていただきたいと思います。

1.テクノロジーの進歩に伴う痛みについて

2.改めて気づいた囲碁の美しさ

3.価値のある仕事とは何なのだろう?

1.テクノロジーの進歩に伴う痛みについて

まずは、テクノロジーの進歩に伴う痛みについて思ったことを書かせていただきます。率直に先程全5局が終了して李セドル九段の1-4でまさかの負け越しという結果に終わりました。囲碁をやってきた方ならこの結果にはとても衝撃を受けたでしょう。

チェスや将棋はロボットに破れましたが、囲碁は向こう10年はロボットに負けることがないだろうと将棋がロボットに破れた2010〜2012年くらいから言われていたにも関わらず蓋を開けてみれば2016年というわずか4〜6年程度で追いつかれる事態になりました。囲碁は将棋と違いコンピューター側で演算しなければならない桁数が文字通り桁違いなので、そこまですぐには進歩しないだろうと見立てが一般的でした。囲碁をやっている僕からしても数年前の囲碁ソフトのレベルはまだまだ甘い手やよく分からない手が多く、とてもじゃないが世界トップ棋士に敵う訳がないと思っていました。しかし、テクノロジーの進化は想像を絶するほど速く、そして確実に進化していると痛感させられました。

AlphaGoの布石の安定さ、中盤の力強さ(4局目はバグりましたが)、中盤から終盤に向けての演算から導き出される精緻なヨセなど本当にコンピューターがこんなに短期間で人間を超える程強くなるのかという驚きある種の絶望のような感情がこの5番勝負を通して僕が抱いていた感情です。

自分が誇りに思っていたモノ(僕の場合は囲碁)がロボットによって取って代わられる瞬間というのはこういう感覚なのかと、囲碁のプロではありませんが本気でプロを目指していた自分にとっては生々しいほど感じていました。

これって最近よく耳にする「AIなどの台頭によって既存の職業の◯◯%が◯◯年後にはなくなっている」とすごく似ているなと思ったんですよね。そして間違いなくそうした状況は訪れる(しかも想像よりも遥かに速く)と今回の経験を通して思うようになり、僕が今回感じたある種の絶望のような感覚に苛まれる人が今後かなりの数出てくるんじゃないかと考えています。

テクノロジーの進歩で便利になることは良いことかどうかの議論は一旦置いておいて、現在の資本主義社会における経済的合理性を考えるとまず間違いなく、歩みを止めることなく進んで行くと思うので上記したようにテクノロジーの進歩というのはある一定の痛みを伴うモノなんだなと実体験を通して考えるようになりました。もちろん、その痛みを伴う人側に問題があるという論点があるのは重々承知ですが。。。これが僕の感じた「テクノロジーの進歩に伴う痛み」です。

2.改めて気づいた囲碁の美しさ

テクノロジーの発展についての話は置いておいて、今度は囲碁にフォーカスを当てて書きたいと思います。まずは、李セドル九段がAlphaGoとの対局前の会見で述べていた言葉。

“しかし人工知能は人間のように囲碁の美しさは理解できない。”

この言葉は囲碁の石運びや流れを綺麗、上手いとか感じる感情のことを比喩して言っていると個人的には解釈しています。ただこの言葉を聞いて、なぜ自分は囲碁を面白いと思うのか、自分にとって囲碁の美しさとは何なのかという問いがずっと頭を駆け巡っていました。

答えは李セドル九段が1局目に破れた時に自分なりに出てきました。

僕にとって囲碁の美しさとは「最善解がわからない奥行きを追求していくこと」でした。なぜ囲碁が面白いのか、もちろん勝敗がついて勝つのが嬉しいからというのもありますが、結局答えがわからない囲碁を自分の構想や戦術を自分なりに考えて表現して相手に打ち勝つという、探求するプロセスが最も自分が楽しく感じている部分でした。答えが決まっているものを少なくとも僕は楽しむことができません。人が楽しむ、本当に没頭するものは基本的に解明され切れていない奥行きがあるモノなんじゃないかなと思います。

こう考えると、自分がAlphaGoの台頭によって強烈なショックを受けたことが腹落ちしてくるんですよね。僕はAlphaGoによって19×19の盤上で表現される構想・戦術の最善解を解明されてしまうことに最も驚怖恐れを抱いたようです。解説しているトッププロでさえもその手の意図が汲み取れない、筋が悪いと思った手が実は最善のヨセだったなど、人間を完全に凌駕している存在、且つ急速な成長を遂げているロボットが怖かったんです。

もし、AlphaGoがこの世に2つ存在していて、彼らが互いに最善を深め合い学習をし続けたら、麻雀のように配牌という確立論で計算する要素がないであろう囲碁は解明され切ってしまうと思ったからです。そうすると僕の中での囲碁の美しさがなくなってしまう、やる意味を見出せないなと。もちろん学習を突き詰めて本当に答えが出るかはわかりませんが、そうした囲碁の不完全さに惹かれている自分に気づくことができました。

3.価値のある仕事とは何なのだろう?

ここで話は一転して今度は仕事について。1で述べたテクノロジーの進歩による痛みと関連する内容です。

僕は今年4月よりSpeeeというベンチャー企業に入社して働きます。それに伴って最近よく考えるのが、本当に価値がある仕事とは何だろうということです。1でも書いたように向こう数十年でロボットによって仕事のほとんどで人間と取って替わるという事実を受け入れた時に、社会で生き残って行く能力(スタンスではなくスキルの話)ってどれだけあるのだろうと思うんです。何より危惧していることが、AlphaGoの発展から見られるように人の想像を絶する速さ、深さでテクノロジーが進化しているということです。

今後の価値のある仕事を考えると実際にそうしたロボットを設計・開発する側に回ること、新たな事業を生むビジネスディベロップメントなどは結構すぐに想像がつきます。よく感情などは数値化できないという話を聞きますが、プロモーションにおけるターゲティング広告などデータ解析から導き出される数値によってある程度は定量化出来てしまう、しかも上記したような急速な進歩を考えるといずれは感情領域、そして解析側の仕事も取って代わられるのではないかとも思ってしまうのです。

これからの時代どんどん会社という組織が変化をして、会社内部の人間と社外の人間との境界線が曖昧になっていくことを考えるとシンプルに生き抜いていける力が必要だなと考えるようになり、上記のような価値のある仕事について最近思うわけです。ぜひ、このあたりは色んな方と議論させていただきたい。

-終わりに-

長々とした文章にも関わらずここまで読んで頂き、ありがとうございました。突っ込みどころ満載だったかもしれませんが、無い頭を絞って自分なりに書いてみましたので、ぜひご指摘やご意見がございましたらコメント等していただけますと大変嬉しいです!

また、この若造と会って色々話をしてやっても良いぞという心温かい方はFacebookやTwitterなどでメッセ等いただけますととても喜びます。

幸い、僕は囲碁に関してはアマチュア六段で全国でも入賞経験があるので人並み以上に教えることもできるので、囲碁を教えつつ上記のような話を話すことができたらなんて思っています。もちろん、純粋に囲碁に興味がある方も大歓迎ですので、気軽にコメント、メッセいただければと思います。

長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。


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