タカヨの日記③

これは①の続きです。
 お茶をしたあと車で送ってもらったことについて、振り返って考えてみると
1.送ってもらう必要はあったのか?
2.なぜ「送りますよ」と言ってくれたのか?
はたまた3.誰かに見られていたら誤解を招くのではないか?
 と、様々な考えが浮かんだ。そこでまず3.について友人に意見を仰いだところ、そのくらいなら大丈夫だと返答があり、安堵した。
 1.は明らかに必要なかった。到着した後も車内で話が盛り上がり、1人で帰るより時間はうんとかかったのだ。2.については考えてもはっきりとした答えは出てこない。ただ、あの場で断ることを選択しなかった自分の感情としては、もう少し話をしていたかったのかもしれないと思った。そして同時に“その人”もそうだったのかもしれないと、やはり思ってしまう。
 このもやもやとした感情はあまり心地の良いものではない。むしろ脳内ストレージを消費する厄介なものだ。けれど、普段私たちはコミュニティの中でほとんど接点を持たない。時間が経つにつれ消えていくだろうとなるべく考えないようにした。
 後日、そのコミュニティへ行く機会があったが実際にその人に会うことはなかった。ただ、私を尋ねて来た人がいた時、部屋の戸をノックするのはその人ではないかと一瞬期待した自分がいた。

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