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【FX】ダウ理論否定派が「なぜ」ダウ理論から学習する事を勧めるのか。その理由について。

■ 本日のテーマ ■

ダウ理論否定派が「なぜ」、

ダウ理論から学習する事を勧めるのか。


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! 今回の投稿のポイント !



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(1) はじめに

今回よりその投稿内容のポイントを最初に記載していく事にします。何のために読むのか?が前提としてあればより理解し易いのではないかと考えました。

そして今回はあえてチャート画像を一切載せないようにしました。そうする事の方が本質に目を向けてもらえると考えたからです。

さて今回のテーマ内容とその目的ですが、どのようなジャンルの世界に飛び込むにしろ、初心者がその世界のノウハウを学ぼうとする時、大抵の場合その選択肢は無数にある場合が多いでしょう。

そしてやっかいな事に最初に触れるその知識や考え方の選択肢が後の価値観・進捗・成果・閃きに多大な影響を与えてしまう事は容易に想像出来るかと思います。そして私が身を置くこの投資の世界にもやはり「基礎的な知識」「常識的価値観」等が無数に存在し、それがそのまま初心者を最初の篩にかけて行きます。

ところでなぜ最初に遭遇する知識の選択が大切なのでしょうか?初心者は当然ながらその世界に対するイメージはもっていても知識がありません。ですので目の前に提示された情報の価値判断や評価を試みる際の「基準」が存在しません。

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また、自力でトレード方法や理論を構築しようと考えても「何」から手をつけて良いのかわかりません。なぜなら想像力や考察というのは「比較」によって行われるからであり、比較対象が無い初心者の場合には方位のわからない地図を見ているような状態に陥ってしまう訳です。

私たちは普段、何げなく立ちあがり歩いたり座ったりしている訳ですがこれも周りの景色を比較対象として上下左右・奥行を判断しているからこそ可能である訳ですね。これが知識にも言える訳です。

つまりなぜ最初に遭遇する知識の選択が大切なのか?という問いについての答えは以下の二つの事柄にとって「重要」だと言えます。

☛ 情報や知識の評価基準

☛ ノウハウ構築時の指針・ガイドライン

この二つに使う「基準」となる「基礎知識・基礎理論」が問題のある基準だったらどうでしょうか?地図を手にいれても掌に置いた方位磁針が狂っていたらどうでしょうか?最初に選択する方位磁針はなるべく信頼出来る物が良い。又はそれ自体が信頼出来ずとも有用な問題想起につながる物が良い。

(2)基礎知識・基礎理論とは

私は為替専門のテクニカルトレーダーであり、それ以外の分野→株・仮想通貨に関しては研究・検証・取引経験がないため言及出来ません。ですのでこれ以降書かれる内容は為替・テクニカル二つの観点から述べている事だとお考え下さい。

まず初心者が最初に遭遇し易い法則・理論の代表的な物にはどのような物があるでしょうか?

・ダウ理論

・エリオット波動論

・サイクル理論

・一目均衡表論

・グランビルの法則

まだいくつかありますがおそらく扱われる事の多いワードとしては上記一覧が多数を占めるのではないかと思います。今回は代表的な物としてダウ理論をタイトルにしておりますが有名基礎理論は「すべて」同様の根本的かつ致命的な問題点を孕んでいるためそれぞれがイメージし易い理論で以下の内容を読んで頂ければ良いかと思います。

(3) 私の立ち位置について

どんな立場から語っているのか、について言及が無いと内容に対して複数解釈が生まれてしまうと思いますので私の立場を先に明示しておきます。

私はダウ理論及びエリオット波動論、そしてサイクル理論を否定しています。年単位のかなりの時間を費やし学習し検証した上での結論であり、その否定の中で向き合うべき問題がみえた事で取り組む過程の道筋を初期段階で見据える事が出来ました。つまりこの事が今回の主題と直結してくる訳です。つまりそれは何か?

基礎知識や理論はゴールでは無い

スタート地点を探すためのガイドライン

では見て行きましょう。


◆ 基礎知識・基礎理論の役割 ◆

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そもそも基礎知識・基礎理論は「なぜ」習うのでしょうか?それぞれがそれぞれに掲げる前提やモデルがあり一見異なるモノのように思えるかもしれませんが「役割」という面では同じです。

基礎知識・理論の役割とはその分野における「言語」的な意味を成しています。例えばチャートは常にチャートとして存在し、その状態は変容してもその構造は変化しません。常に(時間、値)で動いています。

これは本をイメージするとわかりやすいでしょう。チャートは左から右へ時間が流れていく構造になっていますので左から読み始める本をイメージしましょう。

そこにはチャートのストーリー(状態)が延々と書かれています。しかしその本に書かれている言語を知らなければその内容を知る事は出来ませんね。基礎知識・基礎理論はチャートという本を読むための言語を目的としていると考えると良いでしょう。

しかし、これも先程の方位磁針の例ではありませんがその言語モデル自体が間違っていたらどうでしょうか?字幕化された映画と同じでどんなに素晴らしいストーリーでも翻訳家の理解や知識が乏しければ陳腐なストーリーとして伝わってしまうかもしれませんね。


◆ なぜダウ理論から学ぶ事を勧めるのか ◆

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先にも述べたように私はダウ理論及びその他代表的な理論そのすべてを致命的な問題を理由に否定します。否定しているにも関わらずなぜ、ダウ理論から学ぶ事を勧めるのでしょうか?今回の本題ですね。

まず否定するには「理解」する必要があります。否定も肯定も理解の先にある物であって、理解の前には存在しません。ですので私も当初、ある種妄信的に各種理論を学びました。

今現在、投資における基礎知識・基礎理論とされている物はその発生から短く無い時間が経過しています。例えばダウ理論はその誕生から100年以上が経過しています。

ですので情報の取得にはなるべく古い書籍から手に取られた方がいいでしょう。なぜならその知識の起源から遠ざかれば遠ざかる程情報は歪み曲がっていく可能性が高いのですから。古い=悪いではなく古い=新しい、発生地点からの距離を考えて情報の選択をされると良いと思います。

そのような形で私は各種理論を学んでいった訳ですが重要な点について言及していなかった事にある時、気づきます。それは理解しつくしたと思っていた各種理論をチャート上で検証する段階に来た時でした。

先程述べたように私は以下の二点について言及する形で学習を始めました。

1. 誰が作ったのか

2. どのような目的で作ったのか


確かに上記二つも重要であり、必ず言及しなければならない点ではあります。しかし本当に言及すべきなのは、

3. どのように作られたのか


だったのです。この事については過去の投稿でも何度か触れていますね。何か知識やノウハウを得よう学ぼうとした時にこの「どのように作られたのか」について言及する方というのは恐らくあまり多くはないでしょう。

それでは一体なぜ「どのように作ったのか」がそれ程重要なのでしょうか?例えばダウ理論もエリオット波動論もサイクル理論も一目均衡表論も、これらはチャート上の環境認識に利用されます。

チャート上が今、どのような状態で、何をすべきなのか、を「見る」「読む」ために用いられます。そしてこれら理論も又、この利用目的と同じく「見る」事によって作られたはずです。

しかしこの見る=観測から得られるデータという物はその観測基準の厳密さに依存します。もしダウ理論が、エリオット波動論が、その他の理論が、厳密さを兼ね備えた一貫した基準を持って観測され仕分けされた結果であるのならば、

「 なぜ人によって読み取れる物が違うの? 」

もう少しわかり易く言うならば、観測方法が厳密に定められた上で理論化出来たのであればその理論を通してチャートを見る時、誰もが同じ結果を「読み取れるはず」です。しかし実際にはそうはならない。

SNSで有名な多くのトレーダーがその理論や波の見方について「コツ」や「ポイント」を発信していますが、「コツ」や「ポイント」がある時点でそれはもうただ見たいように見て、描きたいように描いているだけのお絵かき遊びだという事になります。

又、例えばダウ理論自体も曖昧であり各トレンドにおけるサイクルにも大きな幅があり実に曖昧で基本的にその実践には経験・練習・裁量が前提となっています。そしてまた最初の問題に戻る訳ですね。

経験・練習・裁量が必要ならそもそもどうやってこの理論を作ったのか?という根本的かつ致命的な問題です。この問題はすべての有名理論に共通して見られます。


◆ それならばなぜ学ぶのか? ◆

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先にも述べたように新しく身を置く分野や世界において、最初は誰もが丸裸の状態です。その世界の常識やルールも知らなければ自分が立っている位置もわからず言語も知りません。

そうなると何から手をつけて良いのかわからないのです。何から手をつけて良いのかわからないのは想像するに必要な比較対象が無いからです。ですからわかり易くまずはその世界の常識や言語を知り、その世界に溢れている情報を読み取れるように試みる。

そして読み取れるようになったなら得た知識に今度は言及の目を向ける。又は得た知識を基準に変えてまた別の知識に触れていく。そうする中で理解が深まり、その理解の延長上に「肯定」や「批判」が生まれます。

ネット上には「批判」はするが「指摘」が出来ない人々が溢れていますが私が指している「批判」は「指摘」を指し、「指摘」は理解があるからこそ出来るものであると考えます。

そしてその指摘によって得られた問題は自分が向き合うべき指針に変える事が出来ます。まずは知識に【why】と投げかける事で問題を捉え、次に【if】と考え可能性を検証していく。

こうすれば次に何をすれば良いのか、何を学べばいいのか、今のトレードに何が足りないのか、自分に必要な事に迷子になる事はありません。

例えばまずダウ理論を深く学んで見る。すると必ず「なぜ?」という点が出て来ます。その「なぜ」が調べて解決する物なら良いですがそうでないなら一旦書き出して起きます。学習→理解→「なぜ」の収集が終わったら今度はは「もし○○なら…」どうなるか検証して行きます。

ダウ理論にある問題があるとして、その問題が解決出来たとしたら理論は優位に傾きを観せるのだろうか?と。

ダウ理論等の有名理論を1つまずは深く理解しましょう。その上で、その理論の矛盾を見つけたなら言及してみましょう。なぜ、なぜ、なぜと説いてその問題が割り切れなくなった時その到達点が一つの解答となりダウ理論から得られる本当の実りとなるはずです。


◆ 常識とは誰の物なのか ◆

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もう一つ考えて欲しい事があります。投資の世界における生存率は諸説ありますが大体5%~10%の人間しか継続的に利益を上げておらずそれ以外の方は比較的早い段階で退場して行きます。

この5%-10%という数値は全体に対して少数ですね。ところで常識とは誰の物でしょうか?常識とは大衆の物であり、多数派の物です。チャート上における多数派とはどんな人々でしょうか?生存競争に生き残れない90%の人々ですね。

では小数派の人々は常識を知らないのでしょうか?無論、違うでしょう。よく知った上で別の道を歩んでいるだけです。知った上で別の道を知る、行く。


常識を信じる理由が「 常識 」だから

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では無く、常識がなぜそのような形で存在しているのか、なぜ常識なのかと考えて信じるに値するか自分で判断出来なければならないと私は考えます。

しかし例えばダウ理論やエリオット波動論が再現性が厳密に定義され、それがチャート構造に準じた物であればある程度の普及によってコンセンサスが強化され素晴らしい理論となっていたかもしれませんね。

そもそも各理論自体に傾きがあるのか無いのかさえ再現性が確保されて無い以上わかりようもない訳ですが。


■ 今回のまとめ&お知らせ ■

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(1) まとめ

これから為替・投資の世界に身を置こうとしている初心者の方に向けて書かせて頂きました。

その分野で頑張りたいと情熱を持って参入しても、何をすべきかどこに向かうべきかわからず情熱が空焚きしている状態というのがおそらく一番辛いと思います。

私自身の経験を振り返った時、最初の情報選択や学ぶ目的がもう少し明確であったなら闇雲な学習を避けて大幅な時間の節約が出来たのではと悔いる所もあり、その際に考えられていれば良かったと思う内容を記したつもりです。あの日の自分に届けばと。人生は短いですからね。

(2) お知らせ

2020年3月まで五年をかけて個人指導してきた次点トレード理論。その後予測的見地からトレードを試みる中で得た見解を論理的投資理論にフィードバックさせて新理論を再構築しました。「K2-次点理論」と記した理論普及を今後は行っていきたいと思います。

ただ以前と同じように極・少人数でと考えています。情報というものは伝えきり、学びきらないと意味が無いと考えます。中途半端に伝わるくらいなら最初から教えない方が良い。

募集概要や募集時期等はまたtwitterやnoteでお知らせ致します。私を以前から知っている方であればご存知かもしれませんが誰でも応募出来る訳ではありませんし、応募したからといって必ずしも受講をお受け出来るとも限りませんがもし興味があり、ご自身が必要としている物がここにあるならばご一考頂ければと思います。

それではまた次の機会に。高 山

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