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『2日目』7月15日の日記

今更ながら、私が読んだことのあるエッセイは「やなせたかし」先生の名言集のようなものと、「荒木飛呂彦」先生のマンガの描き方についての本だけだった。つまりこれはエッセイもどきである。
簡単に調べてみた結果、他人に読まれるかを意識しているからしい。そのうちnoteにでも上げてみようか。
読まれる前提、となるとどうしてもダイレクトマーケティングじみた、私の好きな作品を話すことになる。最近だと、久々に読んだ「ワンパンマン」はヒーローという概念を丁寧に丁寧に描いていると思う。「僕のヒーローアカデミア」でも思っていたことなのだが、ヒーローがヒーローという職業に成り下がってはいけないと思うのだ。至高で孤高であるべき、とかではない。ただ、実力不足だろうと誰かを助けたいという想いがヒーローの素質、と言うものではないんだろうか。きっとそれが当たり前で、見返りなんか必要無くて、実力不足を感じたなら鍛えて。ヒーローは勝たなきゃいけない。でもそれは、実力の問題では無く、精神的支柱として、敵に負けないということではないか。
とまあ、つらつら語ったが、私は敵側を好きになることが多い.「強きは孤独、弱きは集い」という持論がある。当たり前だろう、弱いから集まるのだ。そして弱さとは「マイノリティ」である。だからこそ、集まらなきゃ弱いのだ。私はマイノリティ側だけど、どちらでもない、もっと曖昧なものだからこそ、どちらも羨ましいのだ。声高々にマイノリティを認知しろ、というのは正直、押し付けがましい。生物学的に歪んでいるのはこちらなのだから、見て見ぬフリをしてくれればそれでいい。ただ、強い否定はしてくれるな、という願いなのだ。そう、願いなのだ。私たちだって真っ当じゃないことは理解している。だけど、常識的な、本当に苦しんでいる人達なら、もう既に去勢したり付けたり、ホルモンバランスで苦しんだりしている。それは苦しいことだろう。否定もされて、でも自分を責めて、本当の自分になってやっと、世界で息がしやすくなる。それを悪用しないでくれ、と灰色は思うのだ。どっちつかずのquestion。愛に性別を気にしないアセクシャル。そんな灰色は、口にも出来ない。何故なら意味がないから。そして、認知すらされていない。灰色は虹の除け者なのだ。
ひどく脱線したうえに偏見が目立つ文章になってしまった。
つまり私は、みんなのアンパンマンのファンなのだ。

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