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亡き父を思う

父が亡くなったときは、ちょうど本の仕上げをする時でした。

コロナ騒動の中、目の前のことをやることで精一杯だったからなのか、肉親の訃報は逆に実感がわかないものなのか、わからないのですが、不思議と悲しさや喪失感はなく、ただただ感謝の気持ちでいっぱいでした。

コロナ騒動が一区切りした今、父を失ったことを実感しています。寂しくなる時間帯が増えました。もはや心の中で会話することしかできません。

さて、今日は久しぶりの講演会だったのですが、例によって冒頭から脱線して、「時間とは何か」、「本当の勉強とは何か」について主にお話ししました。

与えられた時間は万人だいたい同じくらいです。私は59年生きました。自分に残された人生はもはや短く、あっという間に死ぬ瞬間が来るような気がします。

私は今、人生の転換点にいることは確かです。残りの人生で何をすべきか、考える日が続きます。

ピアノは趣味で続けます。これは確定。問題は、何を最後に力を込めて行うかです。

研究はもちろんですが、他にもやらなくてはならないと思うことがいくつもあります。その中の1つか2つくらいしかできないと思う(もしかしたら0かもしれない)ので、迷いが生じます。日本のため、みんなのため何かをしたいというのは共通していますが、その一方で、今は疲れてしまっているからなのか、どうなのかわからないのですが、すべてを断ち切って、余生をのんびり暮らしたいという気持ちも一瞬よぎります。

しかし、のんびり暮らしたら、あっという間に死の前日になってしまう気もします。

今日は「歳を取れば取るほど、新しいことにチャレンジするべき」とお話ししました。

さて、自分の場合はどうなるのか。時計の針は刻々と進んでいきます。ストレスなく、しかし充実した残りの人生を歩みたい。

たくさん食べてね。


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