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大喜利ツイート反省会 #序文

Twitteで大喜利をはじめた。大喜利アカウントから出題される問いに解答している。私は大喜利に自信があった。10年前、ある大喜利サイトに解答を投稿していた。私の解答は大変ウケが良かった。

あの要領で解答していけば、大量の「いいね」を獲得できるはずである。「100いいね」くらいならすぐだろう。それも「実力」だけでいけるはずだ。

お笑いファンの中には、笑いをやけに求道的に捉える者がいる。彼らは馴れ合いの笑いを許さない。アイドル的に売れた芸人を許さない。彼らは「本物の笑い」しか認めない。やっかいなお笑いファンである。2000年前後まではずいぶん多かった。たぶんダウンタウンのせいである。

実は私もやっかいなお笑いファンの一人である。私は他人の解答に対して、「ヘラヘラしたいいね」はしないと決めていた。

ヘラヘラしたいいねとは、「お返しいいね」や「お返しいいねを目的としたいいね」である。私は本当に面白いと思った解答にのみ「いいね」すると決めた。

Twitterで馴れ合っている人々に「本物」を見せてやる。私は意気込んで出陣した。さあ笑いのいろはを教えてやろう。

私は解答を積み重ねていった。3日で20解答はしたかもしれない。

一番いいねが付いた解答で「3いいね」だった。

ちょっと解答のクオリティが低かったか?舐めてかかっていたかもしれない。もっと真摯に取り組むべきだった。

次の日から私は心底全力で挑んだ。ひとつの問に対して10個の解答を用意した。その解答の中から1番良い解答を選んだ。さらにその解答を十分に推敲して投稿した。私はこの方法で解答を重ねていった。1週間で50解答はしただろうか。

「2いいね」が最高だった。

なぜなのか。他の解答者には多数のいいねが寄せられている。コメントまでされている。楽しそうだ。孤独感と嫉妬心でどうにかなってしまいそうだ。

それでも私は解答を重ねた。「お返しいいねを目的としたいいね」もして回った。やっかいなお笑いファンも孤独には耐えられなかったのだ。

この日は休日だった。1日中ずっと大喜利をやっていた。夜の時点で3いいねが最高だった。

傑作な解答もいくつか投稿している。まだみんなの目に留まってないだけだと思った。夜が明ければ「10いいね」は付いているはずだ。

解答も一生懸命に考えた、根回しのいいねも行なった。どうか10いいね付いてくれ。明日に願いを託し、私は眠った。


朝が来た。「3いいね」が最高だった。寝る前となにも変わっていない。

一晩おいた頭で、自分の解答を見直した。悪くない解答だ。なぜ10いいね付かないのか。面白くないのか。私は時代に置き去りにされたのだろうか。

時代に追いつかなければならない。時代に追いつくまでの軌跡をここに残そうと思う。

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