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浜松へ

僕を「僕たらしめている」時間の中で、大学生活の5年間はとても重要だと感じている。

近畿大学 文芸学部 芸術学科 演劇・芸能専攻

高校を落第寸前で卒業し、一年の浪人期間もまったく受験勉強もせず遊び呆けていた僕が、お袋に尻を叩かれ受験した唯一の大学。

高校時代にふとしたキッカケで演劇部にスカウトされ、勉学そっちのけで演劇にのめり込んだ僕が、たった一つの可能性に賭けて受験した大学。

文字通り、演劇芸能を学ぶカリキュラムが主であったが、目的は芸能人の育成ではなく「芸術を通した人間教育」と掲げられていた。

実際、卒業生に歌手や役者や映画監督、その他大勢の芸能関係の仕事に就いた者もいるが、大半は普通の社会人(のフリをして)として活躍している。強烈な個性を発揮しながら。

僕自身も、卒業後の波瀾万丈の人生のほとんどで「普通じゃない」個性を発揮しながら今を生きている自覚はある。

そんな強烈な大学時代を共に過ごした仲間の一人が、闘病の末に亡くなったのは数年前のこと。

若くしてガンを患い、一旦は寛解に至ったと聞いていたので、亡くなったと聞いたときは驚いた。

話は遡って10年ほど前。

ロードバイクにのめり込んでいた僕は、大阪から東京までを走破する所謂「キャノンボール」に挑戦した。

走力に自信がなかったため、制限時間を36時間に設定して実際には34時間46分で完走した。

その道すがら、親友である「ババちゃん」が住む浜松を通るルートだったため、タイミングが合えば会おう。と話していたのだが、制限時間に追われて余裕がなく、その時は素通りしてしまった…

それから何回か、来阪したババちゃんと会う機会もあったし、実際に数回は会っていたと記憶しているが、素通り事件は、僕の中でシコリとなってずっと残っていた。

そんな中、寝耳に水のババちゃんの死…

いつか会える。と先延ばしにしていたら、もう二度と会うことが叶わなくなってしまった。

会えるヒトには、会える時に会っておけ。とは言うが、まさにそうだった。

今回、何度かの延期を経て、ババちゃんへ会いに行くお墓参りを目的としたツーリングをしてきた。

5月10日(水)真夜中2時過ぎに自宅を出立。
奈良、三重を経て、鳥羽港にある伊勢湾フェリー鳥羽のりばに到着したのは6時過ぎだった。

凍えた身体を太陽が照らす

第一便である8時10分発の船に乗り込んで、まずは仮眠。

船内で固縛されるSRセンパイ

たった1時間の船旅だったが、仮眠含めて楽しく過ごせた。

伊良湖岬から海を右手にひたすら東進。今回導入したアクションカム Drift Ghost XLで走行風景を撮影しながら楽しく走れた。※走行メインのため写真なし

浜松への移動がメインであったが、最初の目的地は、ヤマハ乗りの聖地「ヤマハ発動機コミュニケーションプラザ」であった。

鐘庵 磐田岩井店で昼食
名物 桜えび蕎麦

聖地訪問の前に腹ごしらえ。昔、東海エリアで営業をしていた頃によく食べた 鐘庵さんの桜えび蕎麦を頂いた。

ヤマハ発動機コミュニケーションプラザ

そして聖地巡礼。

訪問の様子は、Instagramに投稿しているので割愛…

ちょっとしたトラブルはあったものの無事に浜松市内のホテルへチェックイン。シャワーしてすぐ仮眠。

炭焼き さわやか ゲンコツハンバーグ

夜はババちゃんの奥様とお子達と炭焼き さわやか で食事。初対面だったが、奥様はこの日の訪問を快く迎えてくださり、お子達も笑顔で話してくれた。感謝しかない。

ババちゃんの話を、いざ何かしようとしてもなかなか上手い話が出てこないのがもどかしかったが、楽しい時間を過ごせたと思ってくださったのなら良かった。

小高い丘から見下ろす墓所

翌朝は、ババちゃんのお父様とお母様と待合せてお墓参りへ。お二人とも初対面だったが、ほんのひとときの会話ながら、あぁババちゃんの人柄はご両親があってのものだったんだなぁ と感じた。本当に朗らかで明るく優しさ溢れる方だった。

お父様と一緒に墓前へ参り、持参した滋賀の地酒を手向けた。盃に注いで手を合わせ、その盃に少し口をつけて乾杯。心の中で語りかけた。

後悔の念が、少しは解けた気がした。

お墓参りを済ませ、お父様と再会を約束して出立。

僕は、ババちゃん本人しか知らなかったが、今回の旅で奥様、お子達、お父様、お母様とも繋がりが出来たことは心から嬉しいと感じた。

奥様とは、今後、浜松素通りは禁止。との約束も交わした。この約束は必ず守ろうと誓った。

帰りは高速道路を繋いで帰阪。無事に帰れたことを奥様とお母様へ報告してツーリングは終わった。

ババちゃんまたな。

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