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出会いと感謝。そして・・・

先日の事、ドラマ「美しい罠」のプロデューサー風岡さんから携帯電話に着信が残っていた。

久しぶりの電話だったこともあり、何となく悪い予感がした。

電話を掛けなおすと割と元気な声だったので思い違いかと思った矢先、残念なお知らせですと始まり、それは的中してしまった。

7月31日に奥村正彦監督が逝ってしまった。

僕は暗い話を暗い雰囲気で伝えるのが苦手で、風岡さんとはそこが似ている。だから、あーそうですか、久しぶりの電話だったから嫌な気がしたんですよね、と明るめに返した。

明るければ明るいほどお互いに辛い。

僕は暫くショックを抱えた。かなり辛くて時間とともにその重さが増した。

公私ともに良くして頂いていて、お互いにお酒が好きで飲むときは下北沢のいつもの和食屋で酒と料理に舌鼓を打ち、映画やドラマ制作など未来の事をいつも語っていた。

最後に会ったのは昨年の正月が落ち着いた中旬頃、昼ドラのメンバー少人数で集まり新年会をした。その後コロナが猛威を振るい簡単に会えない状況になってしまったが、それでも家が近くだからいつでも会えるかなという理由が余計に寂しさと悔しさが溢れる。

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※新年会の帰りの一枚。


奥村監督は、僕が俳優として20年を超えるキャリアの中で最も影響を与えてくれた監督の一人です。

奥村監督とは、お正月に10時間放送していた時代劇で2004年テレビ東京「竜馬がゆく」が出会いでした。時代劇を愛してやまない小川治プロデューサーから岡田以蔵という大役を与えていただき、プレッシャーを跳ね除ける様に猛烈に勉強した。その甲斐あって奥村監督との演技プランの相談ではいろんな観点から話すことが出来、高杉、余計なくらいに勉強してきたなと楽しそうにしていて、認めてもらえたという嬉しい気持ちが込み上げたことを今でも覚えている。

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※松本幸四郎さん(当時市川染五郎)演じる竜馬に誤って辻斬りしてしまったシーン。

奥村監督とは特別シリアスなシーンが多かった。武市半平太のために人斬りまでなった以蔵が投獄され拷問されるシーン。牢屋に入り武市の差し入れに毒が盛られている事を知った以蔵は身命を賭してまで尽くした筈の武市に裏切られ絶望するシーン。処刑の斬首直前、自分を人として見てくれて心配してくれていた竜馬と勝海舟への感謝込め「わしは坂本龍馬門下、勝海舟従者、人間岡田以蔵じゃ!!」と意地を見せるシーンなど奥村監督の演出によって以蔵の山場シーンを撮影し、オンエア後多くの方に評価を戴いた。

正直な話、実はその時になって初めて奥村監督を敬愛し感謝した。このことは後に奥村監督にも話し笑い話になったが、その時まで酷い監督だとかなり嫌いでいたからだ。

それは毒おむすびを食べ絶望するシーンの撮影、ただでさえ精神が削がれ集中力がいる中で、もう一回撮ろう、もう一回撮ろうと何度も撮り直し、初めの数回はよし次こそと気合を入れ直し集中をさらに高めた。もちろん納得がいかないのだから撮り直すのだが、要求は特になくもう一回撮ろうが6回続いた。頑張る気持ちのがの字も出ないほど精魂尽き果て、嫌な監督だと陰気な気持ちになり、7回目は諦めと絶望の中で投げやりな気持ちで思いっきり不貞腐れた。するとOKが出た。なぜ?と不信感を抱いた。続いて拷問シーンだったと思うが、これも何度も何度も何度も撮り直し、疲れ果ていよいよ嫌いになった。監督とあまり話さなくなった。その日、ホテルへ向かうための歩くことだけが最後の気力で、夕食を食べることすら考えられず、風呂に入ることも頭に過らず、一切の事が考えられず翌日の撮影の目覚ましだけセットして寝た。

残りのシーンも嫌いな気持ちのまま撮影をした。

オンエアを見て奥村監督が求めていたものを自分なりに納得した。そして周りから評価を得て監督に会いたくなった。名刺を持っていたので連絡し後日飲むことになった。

俳優は監督が求めている方向へ向かうもので、監督の要望に応えたか応えてないか、それ以上か以下かのような、何となくでも監督の意向は分かっていると思う。今回は監督に不信感を持ち自分が思うようなことではやり直しになり考えてもみないところでOKされたその意図が知りたかった。

監督の話は驚くほど単純だった。

高杉の気合は分かったよ。それが全身に漲っていてさ、投獄されて毒おむすび食わされて裏切られたと分かった以蔵の状態ではないよな。

呆気にとられた。単純明快だった。気合が入りすぎて力んでいたのだ。それを使い果たすまで監督は待ってくれていたのだ。7回目で思ったに違いない。

やっと以蔵っぽくなったな、と。

奥村監督への嫌いな気持ちや不信感は、ある種以蔵にとって終盤武市に抱く思いや武市を邪魔する者たちへ向ける感情や心情に使うことが出来た。そうなるよう監督が促してくれていたのだと思う。いや、手の平で転がされていたかな。

撮影前に、よく勉強してきたなと褒められたが、ほとんど必要ないから忘れていいと言われた。その意図は飲みの席で話を聞きながら分かった。

俺は噓の芝居が好きではない。作られるものが嫌で、本人から滲み出るものが好きだ。高杉は勉強してきた分頭でやろうとしていた。芝居はしてる風でも目が嘘をつく。それが通用しないと分かれば生身でぶつかるしかない。お前の負けず嫌いと絶望が最後は目から出ていた。俺の事が嫌いになったならその目を待って撮るのが俺の目的だ。あの目良かっただろ?と得意げに話し美味しそうに焼酎のロックを口にした。

目から鱗だったし脱皮した気持ちになった。自惚れているなんて思ってなかったし、寧ろ自分なんか足りないというコンプレックスがあったから必死だった。しかしその一生懸命が足枷になっているとは考えもしなかった。演じる上で必要なことを、不必要なことはあり、パフォーマンス力を上げるためには脱力し必要な方向だけに力を注ぐことが大切だと知った。演技は人間を演じるわけだからそれだけではないが、重要なことを気づかせてくれた奥村監督を敬愛し、酒席では犬のようにこれでもかというほど腹を見せた。


20代の内にやりたい役があった。悪い奴だ。多くは語らず、裏で人を騙し、人殺しでもいいがとにかく悪い奴。漠然としているがそんな役を必ずやりたいと胸の内に秘めていた。

2007年4月頃だったか、マネジャーから一枚の企画書を受け取り奥村監督からだった。それは東海テレビ「美しい罠」のオーディション内容だった。正に理想としていた悪い役で、舐め回すように企画書と睨めっこしイメージを作った。

オーディションについて奥村監督と会話はしてないが、理想の役だけでなく主演の櫻井淳子さんの相手役という大役で呼んで頂けたということだけでその期待を感じ取り、もの凄く気合を入れイメージしたダークスーツに身を固めオーディションに挑んだ。

国際放映の会議室前、名前を呼ばれ中へ入ると奥村監督が先ず目に入った。ご主人の帰りを待ちわびた犬のようなリアクションを取りそうになったがグッと堪え、初めて会う他のスタッフ関係者に向かって寡黙気味に作ってきたイメージ通りの挨拶をした。

初めまして。沢木槐役をやらせていただきます高杉瑞穂です。宜しくお願いします。

すると、風岡プロデューサーがまだ決まってないけどね、と口を開いた。あ、やっちゃったかな。。。後の事はド緊張で記憶にない。

気合の入りすぎでおかしなことになってしまった。せっかく呼んでくれた奥村監督に申し訳ないと肩を落としていた。

しかし後日決定を貰い、奥村監督からも、おめでとう!高杉で決まったぞ!と連絡をくれた。

このドラマが俳優人生の大きな転機となる。

風岡さんに決定の事を尋ねると、オーディションなのに決まったかのような太々しい挨拶が決め手になった、と教えてくれた。この時は気合いが正解になった。

奥村監督の要求は岡田以蔵の時より厳しくなった。岡田以蔵は抱え込んだものを表現する純粋さを必要とした。しかし沢木槐という人物は、人物だけでなく脚本にある伏線を沢木の目や表情だけを映像で抜くことがあり、繊細な要求が四六時中だった。

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目は死んでて、口は悔しさを見せて、頬は笑って、体は凛として。口の悔しさが強い。それはよくわからないから駄目だ。目は死にすぎてる。黒目の真ん中だけ光を持ってあとは殺していい。顔が固くなってるぞ。前のめりになるな凛としろ。変な顔になってる、やり直し。日々繰り返された。

顔面神経痛になるかと思った。顔に力を入れると力みとして映るから気持ちや精神から各部位を調整する。例えば口角を上げれば笑ったように見えるがそれは空っぽで動かしただけになるため、緻密にネタを想像し自然と表情を動かす。しかも限定的に。

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口は悔しいネタを想像しながら口角は適度に楽しい想像をしながら目は絶望のネタを想像しながらその中心で希望を持つネタを想像する。そしてセリフを言うのだから、もう多重人格か精神異常になりかねない。

台詞量も一日の撮影シーンの数も半端なく、毎日の睡眠時間は2時間ほどだった。きつかったがそれ以上に沢木槐に夢中になった。奥村監督や風岡プロデューサーや脚本の金谷先生の厳しい要求が益々楽しさに繋がった。約4か月の撮影はまるで合宿のようで、俳優としてとても良い修行になった。

そしてファンも増え、人に知られるようになり奥村監督のお陰でたくさんの事を得る時期になった。

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翌年の「金色の翼」も呼んで頂き、2年連続でヒロインの相手役を演じという一生に一度とない貴重な経験もした。

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その後奥村監督演出の舞台「土方は二度死ぬ」で主演を務めたり、その間にも下北沢で飲んだりご自宅の新年会に呼んで頂いたり、交流が自然に続いた。

奥村監督がよく口にしていた「嘘をつかない芝居」。未だに難しい極地だが、これ以上ない良い課題を身につけさせてくれた。

俳優として成長させてくれた奥村監督。深く深く感謝に尽きます。

奥村監督と二度と仕事が出来なくて、二度と会えないのは寂しいけれど、実はそれ以上に悔しくて悔しくて堪らない。

その本心は言えないが、今まで僕の周りで亡くなった人たちに感謝はあっても悔しさを覚えたことは無かった。

奥村監督から教えていただい沢山の愛情を胸に、後悔の無いようこれからも精進します。

今まで本当に有難う御座いました。

天国で映画三昧してください。どうか安らかに。

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※美しい罠打ち上げ写真。コピーや使い回しは止めていただきますようお願い致します。

                     高杉一穂



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