SNSで子供のことは書かないが、子供を見てどう思ったかはログに残しておくほうが良い気がした話

SNSでは家族の話はしない。家族の写真も載せない。祖父母親兄弟子供孫曾孫等々の家族情報は載せないのはおそらく今後も含めてしないだろう。

ただ、子供世代はおそらく家族も含めてSNSに投稿する時代だ。Tiktokで子供と親が一緒にダンスしてたりする。それは全く否定しないが、掲示板、ブラクラ、流出などの各種ネットまつりを見てきた自分としてはその行為ができないだけだ。

でも最近少し思うのは、家族の情報は載せなくても、家族のことをこのときどう考えたかはログを残すべきじゃないかと思っている。

・子供が立った
・弟が得点決めた
・親が鬼籍に入った
こういうイベントもあるが、
ふとした家族との対話で生まれた感情とかそういうのはいずれ記憶から消えていくので思ったことぐらいは残していいかなと思っている

そんな中で今回は子供についての感想です

非常につまらない話だと思う。がお許しを。
もう歩きだして久しいが、最近は宇宙語から日本語の比率が多くなってきている。宇宙語の子供というのは特にかわいいのだが、日本語になっていく仮定ですこしずつ赤ちゃんが幼児になって、今は少年になろうとしているなという感触を日々感じている。それに寂しさを感じる部分でもあるが成長するとは親離れと同義なので嬉しくも思う。

このコロナによって私の人生としてラッキーだったのは在宅ワークにより、幼い時にその成長をリアルタイムで見れたことだったりする。こんなもの不通に出社の会社なら無理だし、保育園の様子すらわかりようがない。
それでもそれを体感できたコロナというものに対しては本当にラッキーだと思った。
もちろん国難であるので、そういう部分に対してラッキーだとは全く思ってはいない。
そんな彼の見送りやお迎えをしたりしていると、彼が他の友だちとコミュニケーションを取っているところを目撃する。
あの世代はすごい。同じ教室にスラスラ喋れる子と全く宇宙語の子が混在しておりながら、それぞれの言葉でコミュニケーションが成立し、一緒に遊べているのだ。異次元すぎる。
そうして彼は友人と遊ぶ時に、おもちゃを譲ったり、1歳下の子にはいっちょ前に兄貴面したり、彼なりに社会というものを形成している。

抱っこでしか保育園行かなかった子が気づいたら歩きで登園しているし、成長が驚異的すぎて感覚が追いついていない。
しょうもない話だが「パパ面白いね!」って言った瞬間に
・すごいスラスラ話せている
と思って涙がこぼれ落ちたぐらいだ。
昨日までそんな日本語一度も言ったことないのに。みたいな。
この親感覚は全く当事者以外は共感できないと思うがそういうものだと思っておけばいい。

まとめると直近1周間の感覚はそんな感じです。
きっとこれは10年後に彼がもっと大きくなった時に読み返したら面白いと思ってたまに書こうと思う。