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『野球どアホウ未亡人』誕生①編集について

【愛知・大阪での上映、そして池袋シネマ・ロサでの再上映までの間の予習・復習の為に書いていく不定期連載シリーズ】

監督・小野峻志の最後の自主映画としてこの映画を「長編映画」として劇場公開すべく企画は始まった

 「これが最後の自主映画」ということで、折角なら劇場で公開したい、それならば長編映画だろう、という事で、この『野球どアホウ未亡人』は完成予定尺70分〜80分の長編映画として企画がスタートするのだが、「未亡人が死んだ夫の借金の肩代わりに草野球の投手に選ばれ、猛特訓するうちに快感に目覚める」という、この私の思いつきだけのアイデアを長編という時間に耐えるお話にする為に如何なる苦労があったのかについては、パンフレットに掲載されている堀雄斗の「『野球どアホウ未亡人』と脚本」というケッサクな文章を参照していただきたいが、実際に撮影し編集してみるとなんとビックリ、尺が55分しかなかったのでこれはマズいと、私と堀とで緊急の会議を開いたわけだが、

尺を詰めるより伸ばす方が余程苦労することを我々は知った


これから先、我々が取るべき道は、一つは、「編集のテンポを変える」ということで、これは私の前々作にあたる『浮気なアステリズム』が若干間延びした編集になってしまったことへの反省から、ムキになってアップテンポにした編集を、また緩めようということなのだが、それで映画がつまらなくなったりしたら本末転倒というか、何の為の編集なのか、ということでその案は無くなり、しかし確かに編集を飛ばしすぎて性急な場面もあるので、インサートカットを挟もう、ということで参考にしたのは本作の撮影二日目に訃報が飛び込んできたゴダールの『カルメンという名の女』の、車が行き交う夜間の道路を俯瞰で捉えたカットが何度か挟み込まれるという、あの手でいこうと、『野球どアホウ未亡人』でも全く同じカットを何度か繰り返しインサートカットとして使用しているのだが、それにしたってほんの数秒間かさ増しされただけで、相変わらず55分という尺は如何ともしがたく、

タイアップでもなんでもないのにオリジナルの主題歌が流れること自体がギャグだったのだ

もう一つの手段として、とりあえずエンディングには主題歌をフルで流そうということになり、これで約3分は伸ばせるはずだ、その間のエンドロール(キャストとスタッフのクレジット・タイトル)にはカメラマンのojoさんが撮影したスチールを流そう、ということであのエンディングとなったわけだが、当初の想定では冒頭、重野進の書いた文章を延々と朗読する森山みつきの横顔に全てのキャスト、スタッフのクレジット・タイトルが流れ、映画のラストは森山の後ろ姿がストップ・モーションとなりバシッと「完」の文字が被さるはずだったのが、結局その構想は捨てることになり完成作では単に長い長いオープニングになってしまったわけだが、まああれは「長い」ということが一つのギャグであるから、それで良いだろうということで、ただそれでも尺は58分、長編映画というからには最低でも60分は欲しいということになり、あと2分をどうするかということで私と堀は頭を悩ませたわけだが、

渡邉安悟監督の『啄む嘴』が52分の「中編映画」として公開されてしまったことからこの苦労が始まった

何故我々がそこまで「長編映画」ということにこだわるのか、別に58分の映画になったって構わないではないか、しかし池袋シネロマンのピンク映画3本立てのうちの1本ではなく、池袋シネマ・ロサの1本立てレイトショーということで60分という尺にこだわりがあるのかというとそうではなく、主演の森山みつきが、自身にとって初めての「長編映画」初主演作品がもうすぐ公開されます、という趣旨の発言を至るところでしていたこと、そして池袋シネマ・ロサで渡邉安悟監督の『啄む嘴』(2022年)が52分の「中編映画」として公開されてしまったことという2つの「事件」が主な要因なのだが、まず後者から話すと、国際的には40分以上の尺を持つ映画は「長編映画」と見做されており、よって58分の『野球どアホウ未亡人』は立派な「長編映画」と呼べるわけだが、52分の『啄む嘴』が「中編映画」として公開されてしまった現在、60分に満たない『野球どアホウ未亡人』を長編映画として公開して世間が納得するのだろうか、という不安があり、

『野球どアホウ未亡人』が森山みつきにとって初めての長編映画初主演作品だと我々が知ったのは撮影が終わってからだった

前者に関して言えば、森山みつきの長編映画「初」主演作が『野球どアホウ未亡人』というのは彼女にとって不名誉なのではないか、いっそ58分の「中編映画」として上映してしまえばある種の誹りを免れるのではないかと私の頭を一瞬過ったのだが、森山さんはどうやら「長編」になると思い込んでいるようだし、今更我々が「中編です」と開き直ったら彼女が嘘をついていたことになるではないかと、それらが理由で『野球どアホウ未亡人』は何とか60分の尺を目指さなくてはいけなくなったわけだが、

かくして『野球どアホウ未亡人』は「三部作」となった

しかしあと2分をどうするか、映画の中盤で「休憩」と称して5分間のインターミッションを設けるか、それなら63分の映画として公開出来るぞと私と堀は笑いあったが、そんなことをした暁には劇場で暴動が起きるぞ、というか劇場側に納品してもらえない可能性すらある、ということでこの案は却下となり、さてどうすると頭を捻った結果、私の方から「アイキャッチを入れよう」「三部作ということにしよう」と提案し、テレビドラマでもないのにアイキャッチを入れるというギャグで尺を稼げるし、「第○部 ○○篇」と「第○部 ○○篇 完」とタイトルを出せばかなりの尺を伸ばせるぞということで『野球どアホウ未亡人』は60分の尺ながらまさかの「三部作一挙公開」ということになったわけだが、その三部作のそれぞれの名称をどうするのかということで第一部と第二部はすんなり決まったが、第三部だけがなかなか浮かばず、ふと「『サイボーグ009』のアレだ」ということで話はまとまり、結果公開してみれば、「第三部 完」が劇場で一番ウケていたという、皮肉というのか、怪我の功名というのかよく分からないが、兎に角、ギャグというものの奥深さに改めてタジタジとなってしまった次第である。

『野球どアホウ未亡人』パンフレット

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