日本人の刹那感は今に始まった事ではなかったのかも。
刹那的って
その瞬間だけ充実させ、享楽に勤しむようなイメージがあるかもしれない。いわゆる「宵越しの銭は持たない」的な発想で。
しかし、そういう意味ではなく、
いい意味で「その時、その瞬間の刹那」を大事にするひとは増えているんじゃないかなーと思ったりしている。
(その反面こじれた闇も深いと思う。)
インスタのストーリーもTwitterもそうだし、
物質的な所有欲求や、承認欲求ではなく、
その瞬間をどう自分なりに切り取って、どう価値を感じるか?
極端にいうと「最終的にあなたの感想はどうでもよくて「私」がどう感じるか?という感じ。
そんな「私」主義すぎると誰にも理解されないんじゃないないかと思うけれど、
巷でインフルエンサーと言われる方々は、自らの体験や知識、直感に強く裏付けされたそんな「私」を持っているからこそ、それぞれのオピニオンをとっているように思う。
話を戻します
刹那、刹那、刹那と考えていたら、
日本人の感覚ってやっぱりすげーと再認識し、
どうしても凄さを伝えたくなったことがあったので書きます(笑
いきなりですが、
季節の移ろいを表す言葉
「走り、旬、名残」
これらの言葉は季節の移ろいを表しているんですが、代表的なのはその季節のど真ん中を表している「旬」という言葉です。
「そうね。〇〇が旬の季節だね。」と言えるとちょっとかっこいい。
この「旬」という言葉は、多くのひとが耳なじみのある言葉だと思います。
ちょうど今時期だと、
春菊、菜の花、ふきのとうあたりが旬のど真ん中!
新鮮だし、栄養価も高く、流通量が多く価格も安定していて、一年を通して一番、手に取りやすい時期です。
そこで聞き馴染みのない、「走り」「名残」という言葉ですが、
簡単にいうと、
「走り」は【出始め】
「名残」は【終わりかけ】
どちらも季節のど真ん中ではないけれども、
【始まり】と【終わりかけ】を告げるひとつの季節感を表す言葉です。
日本料理にはそんな季節感のある言葉で刹那を表現した料理が数多くあり、
その中でもっとも有名なお料理の一つで、ぼくも大好きなお料理を紹介します!
それは「鱧と松茸のお椀」
今の季節とは真反対なんですが、
とある時期の京都で、
小料理屋さんなんかにいくと確実に勧められる一品。
夏の味覚「鱧」の「旬」は6月〜7月くらいの初夏と呼ばれる時期。(鱧が産卵を控え、まるまると太って脂がのっていることからそう言われています。)
その前の「走り」が(つまり出始め)5月ぐらい、その後の「名残」が(つまり終わりかけ)8月くらい。と言われています。
その相方、松茸の「旬」は9月〜10月がハイシーズン!「走り」8月くらいで「名残」が11月くらい。
感のいい人は分かっちゃったかもですが。。
そう、刹那ing、瞬間切り取っちゃってるんです!
1ヶ月早くても遅くても、出会えないんですこの2人は!
Oh なんてロマンチック。
(あくまでも、日本における自然界の季節の移ろいを表した言葉なので、実際のところ現代の養殖技術の進歩や、海外産まつたけを使うなどすればこの時期以外にも作れなくはないです。)
ということで、とある時期とは8月です!
これ知ってるとドヤれます。
これを日本料理では季節の「出会い」と表現します。
8月の「名残」の鱧と「走り」の松茸が
お椀の中で出会っちゃってるんですねー!
この表現感覚を初めて知ったときは、
「うおー、日本人の感覚超絶おしゃれすぎる。。。」
と悶絶したのを覚えていますが、
その反面「言われないとわかんねぇー。。。」と思ったことも事実です。
「そんなこと聞くな野暮なヤローめ。」と諸先輩方から言われてしまうのかもしれませんが、時代は変わり情報過多の時代になってしまいましたので、インターネット発。SNS経由で、その奥ゆかしさを解説しております。:D
このようにその季節のその瞬間その刹那を切り取った「出会い」という感覚は日本料理だけちゃうかなーと思ったりしています。
(聞いたことないけど、もしかしたらフレンチとかにもあるかもしれない。。)
なんでもそうですが、その刹那感、創られた意図、などを知った上で体験することって、まったく違う価値になるんだろうと思います。
日本料理のキホンは、平安時代のあたりに発祥といわれているので、その瞬間をどう楽しむか?という感覚は、1000年近く前からあったんだなーと感じます。
だからこそイマの感覚は昔と似ていて、
本質は近いんじゃないかなと思ったりしている今日このごろでした!
ちゃんちゃん
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