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2009年ころのこと①

年が明けた。2017年をザッと振り返るとやはり店のことばかり考えていた気がする。  

唐突に今から約9年、10年くらい前、2009年前後のことを振り返ってみたくなった。その頃の自分はthe Miscasts(に関しても書きたいことが山ほどあるけどまた別の機会に)をやめていて曲作りやギターアレンジのヒントを探すような音楽の聞き方もしなくなっており、音楽との向き合い方もかなりフラットな状態だった。  

また、二十歳ころからずっと続けていたバンド活動(格好をつけた言い方をするなら表現活動)をしていなかった反動もあったのか、三十路前に音楽を通してそれまでとは違う刺激が欲しくなりインプット欲がかなり高まっていた時期でもあった。  

週末になると遠方近場を問わず、どこかしらのレコード屋に行ったり、仕事終わりに奈良方面の遅くまで開いているリサイクルショップに行っていわゆるエサ箱を掘りまくったり(「墓起こし」などと名付けてそれを楽しんでいた)、また友人が某外資系CDショップに勤めていたのもあって辺境系と言われていたようなワールドミュージックの音源をコッソリ社販価格でゲットしたり、そんなことばかりして日過ごす日々だった。  

円盤の田口さんに出会ったのもちょうどその頃で、田口さんをレコード寄席で四日市に呼んでいたレコード屋「NGOO」店主の安田さんから「島田くん、今度のレコード寄席の時に弾き語りやってよ」とオファーをもらい、前述の「墓起こし」で手に入れたレコードやCDからそのころ特にお気に入りだった「田端義夫/ズンドコ節」「里見洋と一番星/長崎は今日も雨だった」「村木賢吉/おやじの海(オリジナルバージョン)  」の三曲を「志茂田隆」の芸名を名乗り(笑)弾き語りをしたのだった(この時の弾き語りのせいなのか、のちに「島田はバンドをやめて『演歌流し』になったらしい」と噂されていたと話を聞いた時は爆笑した)。

しかし、考えてみるとタイミングとは恐ろしいもので、ずっと探していた「男 宇宙」という湯浅学さんが監修したオムニバスCDを手に入れて、そこに収録されている「おやじの海(オリジナルバージョン)」を弾き語りしたことと、田口さんのレコード寄席で「直島ミュージックスタジオ〜佐義達夫さん」の話に大感銘を受けたことで、歯車が完全に噛み合ってしまい(狂い始めたとも言える)そのことは未だに自分の人生に大きな影響を与えているのである。

※里見洋と一番星のLP(写真3枚目)のラクガキは元々あったものではなく自分で書き足したもの。詳しくは田口史人著「二〇一二」52Pをご参照下さい…

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