見出し画像

2009年ころのこと②

自分の二十代前半(2000代年初頭くらい)というのは、当時好きでよく通っていたライブ会場などで販売/配布されていたファンジンやフリーペーパーに刺激を受けていた。  

それらに書かれていたパンクスピリットに基いた「DIY/オルタナティヴな生き方」という理想論に当時は少なからず共感を抱き(逆にどうかな?と疑問を抱くこともあった)社会に出てからも心の拠り所にしていた節があったのだけど、仕事や家族や友達や恋愛という日常/現実との狭間で何かフラストレーションのようなものを感じ悶々とした日々を送っていた。  

2009年頃はそんなモヤモヤとした葛藤状態からいい加減に脱却したくて、それまでとは違った別の世界、別の刺激を求めていた時期でもあった。  

さて、直島ミュージックスタジオ(以下、スタジオと略)の話に戻るが、その時のレコード寄席では、佐義さんに話をきくために直島に出向いて開催されたトークイベントの様子が映像で流れた。そこではスタジオの成り立ちや、音楽との向き合い方を飾り気のない言葉で語る佐義さんの姿が映し出され、自分は一人の人間と直島という小さな島を取り巻く壮大な物語に感動し、すっかり魅了されてしまった(※円盤/リクロ舎から発売された「直島ミュージックスタジオ作品集」、田口史人著「レコードと暮らし」で是非ともご確認を)。  

それは理想論ではなく現実の出来事だった。レコード寄席が終わったあと「佐義さんとスタジオのあり方は自分の思う"パンク(スピリット)"そのものだ」とえらく興奮したことを覚えている。と同時に自分もスタジオに出向き佐義達夫という人にどうしても直接会いたくなってしまい、2011年夏に本当に直島に行ってしまった。余談だけど、佐義さんにお話を伺えたことで十分に気持ちが満たされたので"アート系"の観光地には行かなかったが、フェリーの船着場近くにあるあの銭湯には搭乗するまで時間もあったので一応入った(笑)(この辺がやっぱミーハーなんだよな…)。  

その時、当時の彼女(現在の妻)が撮ったスタジオの写真は「直島ミュージックスタジオ作品集」で使用され、NGOOを通して知り合っていた香川在住の清水さんに連れて行ってもらった高松のレコード屋でゲットしたスタジオのレコードは作品集CDの製作にあたり提供することになった。協力リストに自分たちの名前があるのはそういった経緯がある。  

そしてその後、田口さんと再びスタジオを訪れることになった。一度目の訪問の時と印象変わらず、粛々とした日常を送っている佐義さんの姿をみて嬉しく思ったことを覚えている。  

それからずっと今にいたるまで、何か心が折れそうになったりした時などには「直島ミュージックスタジオ」のことを必ず思い出すようにしている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?