試されている
「お客さま...総額でいくらなら大丈夫ですか?」
久しぶりに入ったマックのカウンターにて。なじみのうすい略語な商品が並んだ令和なメニュー表を前に迷っていた私に、店員さんは豪を煮やしてこう言った。
「え?あ、えっと、お金とかじゃなくて...何にしよっかなって...」
「あ、、失礼いたしました。」
カウンターに設置された飛沫防止のアクリルを、気まずい空気だけがするりと通りぬける。
「お金がないわけじゃないんで。いや、金持ちとかじゃないけど、困ってるとかじゃないし、節約のためにきたんじゃなくて、久しぶりにたべたくなって。あ、ぼくハンバーガーよりむしろポテトのあの少しへにゃっとしたところとカリッとしたところのある、あのポテトが好きなんですけど、たまたまお店の前とおったら、むしょうに食べたくなっただけなんで。...というかぼく、そんな貧乏そうに見えます?たしかにTシャツによれよれのパンツだし、髪もボサボサだし、ちゃんとした大人に見えないかもしれないけど、でも、金ならちゃんと持ってますから。現金もってないんで支払いはSuicaですけど。」
もちろん口に出してはいない。こんなことを早口でまくしたてるおじさんがいたらかなりヤバい。でも、「あ、お金とかじゃなくて...」の一行にはこのすべての意味がこもっている。いや、こめてしまっている。
これは、めちゃくちゃダサい。
もし、ここがマックじゃなくて、高級寿司屋なんかで、「お客さん!いくらくらいでにぎりましょう?」なんていなせな調子で聞かれていたら。ぼくは正直に「10000円くらいでお願いします。」とか、あるいは無理して「お任せで!」などと言ってあとで後悔するなどしていただろう。
つまり、このダサさの正体は、
ぼくはマックのことを、マックで食事をする行為を、「自分より下に見ている」という事実であり、それを店員さんの問いと、自らの返答によって気づかされた(=それまで無自覚であった)ことに由来する。
既得権益にあぐらをかく人や、上下関係で付き合い方を変える人に嫌悪感を抱いたり、なんならdisったりもしてしまうことがある。しかし我彼の思想構造は似たようなものであり、そのことに無自覚なのである。
日々、試されている。
すみません。マクドナルドさん。いつもありがとう。ポテト、大好きです。