見出し画像

「英語=国際化」?

 大阪府の吉村知事が、大阪公立大学の完全秋入学制と、授業での英語第1言語化を公表して物議を醸している。

 第1の問題は、地方の1首長が公教育の内容に介入しようとしていることであろう。もし仮に吉村知事が、自分で私立大学を所有していて理事長などの地位にあるのであれば、いかなる教育内容に関する提言も自由に行えると思うのだが、いかんせん大阪公立大学は市立大学と府立大学を無理くり合併させて出来た公立大学である。各々その成立に歴史のあった別々の大学が、強引に合併させられ校名さえも奪われた、その経緯に未だ承服できない感情を引き摺っている側の人間として、これは許せないと思った。

 私は大学2年で中退して他大学の3年に編入したのだが、2年までは大阪市立大学の文学部に籍を置いていた。大学を移ったのは大学の問題ではなく、純粋に家庭の事情によるものだったので、今でも大阪市立大学には相当のシンパシーを感じているし、今日の自分を形成する上で欠かすことのできない基礎教育を与えてくれた大学だったと思っている。特にフランス文学専攻の波多野先生や、ドイツ文学の南大路先生には西洋文学を学ぶ上での基礎を、ほぼマンツーマンで教えて頂いた。今やその愛する母校(と少なくとも自負している)が政治家の思い付きで蹂躙されている姿を、悲しい思いで傍観するのみで、忸怩たる思いである。

 第2の問題は吉村知事の提言内容である。秋入学の学校は欧米に多いから、そのスタンダードに合わせようという主張であるが、欧米は全てがそのスケジュールになっているから問題ないが、日本国内のスケジュールは幼稚園から高校までの学校も、企業のスケジュールも4月新年度で動いている。従って大阪公立大学の学生だけが9月新学期にしても、卒業時に翌年の3月末までのタイムラグが出てしまう。日本全体が9月新学期を採用しない以上、この秋入学に如何なるメリットがあるのか良く解らない。各種国家試験との関係においても、全てのスケジュールが4月新年度で動いている中、大阪公立大学のみが秋入学を採用しても、ハンディキャップこそあれ、メリットはあまり感じられないのではなかろうか?

 次に全ての授業を英語で行うというカリキュラムに対する提言。これは全くナンセンスであると思う。以前社内公用語を英語にした企業もあったが、それによってどれほどの国際競争力が獲得出来たのかの検証を行ってほしいところだ。大半の学生は日本に生活の根拠を置き、卒業しても日本の企業で仕事をする筈である。如何に国際化が叫ばれようとも、我々の人生は英語圏の国に帰化をすることなく、日本人として全うされる筈である。であるならば、先ず考えなければならないのは国語としての日本語力の向上ではないだろうか?確かに時代の要請もあって国際化は必須であるし、今時排外主義なんてアナクロニズムはあり得ない。だからこそ海外留学の途を選択する学生や海外からの留学生と交流する学生は今だって多数存在するのだ。

 更に加えて、「国際化=英語」という単純なステレオタイプが一番馬鹿げていることに何故気が付かないのだろうか。世界中には英語以外の言語が溢れている。ヨーロッパの諸外国語も、アジアの諸外国語も、アフリカの諸外国語も等しく大切な言語であることを一切閑却して、アメリカ英語だけにフォーカスすることの方が余程狭量な視野を物語っていることに何故気が付かないのだろう。百歩譲って、アメリカ英語が国際語であると認めたとして、大阪府庁では、或いは大阪府議会では英語を公用語としていますか?と問いたい。自分たちが採用しないことを、他の公共機関に押し付けて何か重大な仕事をしているかのような錯覚に陥るのだけは、本当にやめて頂きたい。
 人生の価値観は人によって千差万別である筈。未だに「英語=国際化」と黴の生えたようなスタンダードを振りかざし、日本人のアイデンティティーや、日本文化の美徳をかなぐり捨てて、国際化という鵺のような存在に邁進する大阪府の姿は、日本という国の内包する問題点を白日の下に晒しているように思えてならないのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?