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2024年7月14日礼拝説教「舞台裏のヨナ~伝道者こそ惜しまれて~神を愛する人生⑤」ヨナ書全体

聖書箇所 ヨナ書全体
[ 1 ]
1:1 アミタイの子ヨナに、次のような【主】のことばがあった。
1:2 「立ってあの大きな都ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」
1:3 しかし、ヨナは立って、【主】の御顔を避けてタルシシュへ逃れようとした。彼はヤッファに下り、タルシシュ行きの船を見つけると、船賃を払ってそれに乗り込み、【主】の御顔を避けて、人々と一緒にタルシシュへ行こうとした。
1:4 ところが、【主】が大風を海に吹きつけられたので、激しい暴風が海に起こった。それで船は難破しそうになった。
1:5 水夫たちは恐れて、それぞれ自分の神に向かって叫んだ。そして、船を軽くしようと船の積荷を海に投げ捨てた。一方、ヨナは船底に下りていて、横になってぐっすり寝入っていた。
1:6 すると船長が近づいて来て、彼に言った。「いったいどうしたのか。眠りこけているとは。起きて、あなたの神に願いなさい。もしかすると、その神が私たちに心を留め、私たちは滅びないですむかもしれない。」
1:7 人々は互いに言った。「さあ、だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったのか、くじによって知ろう。」彼らがくじを引くと、そのくじはヨナに当たった。
1:8 そこで彼らはヨナに言った。「話してくれ。だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったのか。あなたの仕事は何か。どこから来たのか。国はどこか。どの民の者か。」
1:9 ヨナは彼らに言った。「私はヘブル人です。私は、海と陸を造られた天の神、【主】を恐れる者です。」
1:10 人々は非常に恐れて、彼に「何ということをしたのか」と言った。人々は、ヨナが彼らに告げたことによって、彼が【主】の御顔を避けて逃れようとしていることを知ったからである。
1:11 彼らはヨナに言った。「私たちのために海が静まるようにするには、あなたをどうすればよいのか。」海がますます荒れてきたからである。
1:12 ヨナは彼らに言った。「私を抱え上げて、海に投げ込みなさい。そうすれば、海はあなたがたのために静かになるでしょう。私は分かっています。この激しい暴風は、私のせいであなたがたを襲ったのです。」
1:13 それでも人々は船を陸に戻そうと漕いだが、そうすることはできなかった。海がますます彼らに向かって荒れてきたからである。
1:14 そこで彼らは【主】に向かって叫んだ。「ああ、【主】よ。どうか、この男のいのちのことで、私たちが滅びることのないようにしてください。咎なき者の血の報いを、私たちの上に下さないでください。【主】よ。あなたは、望まれたとおりになさったのですから。」
1:15 こうして、彼らはヨナを抱え上げ、海に投げ込んだ。すると激しい怒りがやんで、海は凪になった。
1:16 人々は非常に【主】を恐れ、【主】にいけにえを献げて誓願を立てた。
1:17 【主】は大きな魚を備えて、ヨナを呑み込ませた。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。
[ 2 ]
2:1 ヨナは魚の腹の中から、自分の神、【主】に祈った。
2:2 「苦しみの中から、私は【主】に叫びました。すると主は、私に答えてくださいました。よみの腹から私が叫び求めると、あなたは私の声を聞いてくださいました。
2:3 あなたは私を深いところに、海の真中に投げ込まれました。潮の流れが私を囲み、あなたの波、あなたの大波がみな、私の上を越えて行きました。
2:4 私は言いました。『私は御目の前から追われました。ただ、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです。』
2:5 水は私を取り巻き、喉にまで至り、大いなる水が私を囲み、海草は頭に絡みつきました。
2:6 私は山々の根元まで下り、地のかんぬきは、私のうしろで永遠に下ろされました。しかし、私の神、【主】よ。あなたは私のいのちを滅びの穴から引き上げてくださいました。
2:7 私のたましいが私のうちで衰え果てたとき、私は【主】を思い出しました。私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました。
2:8 空しい偶像に心を留める者は、自分への恵みを捨て去ります。
2:9 しかし私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえを献げ、私の誓いを果たします。救いは【主】のものです。」
2:10 【主】は魚に命じて、ヨナを陸地に吐き出させた。
[ 3 ]
3:1 再びヨナに次のような【主】のことばがあった。
3:2 「立ってあの大きな都ニネベに行き、わたしがあなたに伝える宣言をせよ。」
3:3 ヨナは、【主】のことばのとおりに、立ってニネベに行った。ニネベは、行き巡るのに三日かかるほどの非常に大きな都であった。
3:4 ヨナはその都に入って、まず一日分の道のりを歩き回って叫んだ。「あと四十日すると、ニネベは滅びる。」
3:5 すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで粗布をまとった。
3:6 このことがニネベの王の耳に入ると、彼は王座から立ち上がって、王服を脱ぎ捨てて粗布をまとい、灰の上に座った。
3:7 そして、王と大臣たちの命令によって、次のような布告がニネベに出された。「人も家畜も、牛も羊もみな、何も味わってはならない。草をはんだり、水を飲んだりしてはならない。
3:8 人も家畜も、粗布を身にまとい、ひたすら神に願い、それぞれ悪の道と、その横暴な行いから立ち返れ。
3:9 もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りを収められ、私たちは滅びないですむかもしれない。」
3:10 神は彼らの行いを、すなわち、彼らが悪の道から立ち返ったのをご覧になった。そして神は彼らに下すと言ったわざわいを思い直し、それを行われなかった。
[ 4 ]
4:1 ところが、このことはヨナを非常に不愉快にした。ヨナは怒って、
4:2 【主】に祈った。「ああ、【主】よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへ逃れようとしたのです。あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直される方であることを知っていたからです。
4:3 ですから、【主】よ、どうか今、私のいのちを取ってください。私は生きているより死んだほうがましです。」
4:4 【主】は言われた。「あなたは当然であるかのように怒るのか。」
4:5 ヨナは都から出て、都の東の方に座った。そしてそこに自分で仮小屋を作り、都の中で何が起こるかを見極めようと、その陰のところに座った。
4:6 神である【主】は一本の唐胡麻を備えて、ヨナの上をおおうように生えさせ、それを彼の頭の上の陰にして、ヨナの不機嫌を直そうとされた。ヨナはこの唐胡麻を非常に喜んだ。
4:7 しかし翌日の夜明けに、神は一匹の虫を備えられた。虫がその唐胡麻をかんだので、唐胡麻は枯れた。
4:8 太陽が昇ったとき、神は焼けつくような東風を備えられた。太陽がヨナの頭に照りつけたので、彼は弱り果て、自分の死を願って言った。「私は生きているより死んだほうがましだ。」
4:9 すると神はヨナに言われた。「この唐胡麻のために、あなたは当然であるかのように怒るのか。」ヨナは言った。「私が死ぬほど怒るのは当然のことです。」
4:10 【主】は言われた。「あなたは、自分で労さず、育てもせず、一夜で生えて一夜で滅びたこの唐胡麻を惜しんでいる。
4:11 ましてわたしは、この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか。そこには、右も左も分からない十二万人以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」
参考箇所
Ⅱ列王14:25
彼は、レボ・ハマテからアラバの海までイスラエルの領土を回復した。それは、イスラエルの神、【主】が、そのしもべ、ガテ・ヘフェル出身の預言者、アミタイの子ヨナを通して語られたことばのとおりであった。

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 許諾番号4–2–3号  


説教アウトライン      
序  本日は「伝道」
① ヨナの公的宣教 (3章)
② 連れ戻された預言者 (1-2章)
③ 不機嫌な預言者 (4章)
④ まとめに変えて~派遣・祈祷・正直~

舞台裏のヨナ~伝道者こそ惜しまれて~
ヨナ1:1-4:11
 今年度の教会テーマ「神を愛する人生」のイメージをしっかりと共有したい。そのために、聖書の人物に焦点を当てて、教会生活の折句acrostic「狭いけど誉れ」を順番に学んでいます。本日はヨナ書を開いております。ヨナ書は預言書ですが、ヨナが語ったメッセージ以上にヨナの出来事(物語)が大半を占めています。
 そして本日のテーマは「狭いけど誉れ」の5番目「ど」。「伝道(でんどう)」です。時々漢字が間違えられて「伝導(つたえみちびく)」と書かれますが、日本語の伝道evangelismとは「伝道(道を伝える)」と書きます。救いの道であるイエス・キリストを伝えるということなのに違いありません。私たちの取り組む伝道とはキリストご自身を伝えることなのです。一言祈りましょう。
 「天の父なる神。あなたはすべてのものを造られ、いまも支配しておられます。人間はあなたに背いて滅びのほうに進んでおりますが、この世界にイエス・キリストが遣わされ、十字架の贖いが成し遂げられました。そのように、あなたは私たちが救われることをあきらめてはおられません。先に光を受けた私たちが、唇で、行いで、人生をかけて、この世界の多くの人に光を示すことができますように。光を受けて、光を放ち、世界を普く照らさせてください。イエス・キリストのお名前で祈ります。アーメン」。

(ヨナの公的宣教)
 本日は全部で48節とはいえ、起伏に富んだヨナ書を30分ほどで語ろうとする無謀な試みに挑戦しております。そんななか最初の聖書朗読で読んだのは、この書物の第3章でした。今日の私のお話を聞く方には、ヨナ書のあらすじをよく知っておられる方もあれば、ヨナ書という旧約聖書の小品を初めて知りましたという方もおられるでしょう。
 初めて今日ヨナ書を読む方が、このように、いきなり3章だけを読む。あるいは、ヨナ書の1章も2章も4章も失われて、3章だけになったとする。すると読者は、どんな印象をこの書物に持つか。興味深いところがあります。よくよく考えてみますと、この書物のなかで預言者らしいヨナの公的活動が記されているのは第3章だけです。
 ヨナ書3章には何が書かれているか。まとめて言えば3:3-5でしょう。ヨナ3:3-5〈ヨナは、【主】のことばのとおりに、立ってニネベに行った。ニネベは、行き巡るのに三日かかるほどの非常に大きな都であった。3:4 ヨナはその都に入って、まず一日分の道のりを歩き回って叫んだ。「あと四十日すると、ニネベは滅びる。」3:5 すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで粗布をまとった〉。
 ヨナは、神のことばを聴いて預かり、人々に伝える預言者です。イスラエルにとって敵国(侵略者)であるアッシリアの都ニネベに遣われます。巡回に三日はかかる大きな都でしたが、一日のうちにニネベの人々は、ヨナが語る神からのメッセージを信じて、まことの神への悔い改めを始めます。
 断食したり、粗布をまとうのは、神に悔い改めの心を示すためでした。〈身分の高い者から低い者まで〉。王様も大臣も悔い改めましたが、布告によって人だけではなく家畜まで悔い改めの対象とされました。滑稽なくらい真剣に、ニネベの人たちはまことの神に悔い改めをしたのでした。
 そして結果として3:10〈神は彼らの行いを、すなわち、彼らが悪の道から立ち返ったのをご覧になった。そして神は彼らに下すと言ったわざわいを思い直し、それを行われなかった〉。ヨナはアッシリアのニネベに遣わされ、そこでみことばを語りました。人々は悔い改めました。ヨナの宣教は大成功を収めたのではないでしょうか。少なくとも第3章を読むだけだと、ヨナは偉大な働きをした神の預言者、という以外ありません。

(連れ戻された預言者)
 しかしヨナ書は3章だけではありません。次に1章と2章を読んでいきますが、その前に3:1-2を確認しましょう。3:1-2〈再びヨナに次のような【主】のことばがあった。3:2 「立ってあの大きな都ニネベに行き、わたしがあなたに伝える宣言をせよ。」〉。1節には〈再び〉ということばのあることを確認しましょう。
 1:1-2〈アミタイの子ヨナに、次のような【主】のことばがあった。1:2「立ってあの大きな都ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」〉。そうです。ヨナにニネベ行きを命じた神のことばは3章の時点が初めてではありませんでした。神はすでに一度ヨナに、ニネベに行って神のことばを語り悔い改めを迫るように命じていました。
 ヨナは「逃げた預言者」と渾名されることがありますが、そのとおりなのです。1:3〈しかし、ヨナは立って、【主】の御顔を避けてタルシシュへ逃れようとした。彼はヤッファに下り、タルシシュ行きの船を見つけると、船賃を払ってそれに乗り込み、【主】の御顔を避けて、人々と一緒にタルシシュへ行こうとした〉。
 ヨナは、神の預言者であるにもかかわらず、神から逃れて〈タルシシュ〉へ行こうと船に乗りました。タルシシュは、いまのスペインのことであって、ニネベとは逆方向、そして当時は地の果てと考えられていた場所でした。
 それだけではなく〈【主】の御顔を避けて〉とあります。これはエデンの園でアダムが罪を犯したときにも出てきます(創世記3:8)。神から隠れるというか、もっと言えば、自分は神を見たくないし、神にも見られたくないという、神と絶交するような表現です。アダムはエデンの木陰に隠れましたし、ヨナはタルシシュ行きの船に乗り込んだのです。
 しかし神が造られた世界のなかで神から隠れたり逃れたりすることはできません。1:4-6〈ところが、【主】が大風を海に吹きつけられたので、激しい暴風が海に起こった。それで船は難破しそうになった。1:5 水夫たちは恐れて、それぞれ自分の神に向かって叫んだ。そして、船を軽くしようと船の積荷を海に投げ捨てた。一方、ヨナは船底に下りていて、横になってぐっすり寝入っていた。1:6 すると船長が近づいて来て…〉。
 その船は、イスラエル人であるヨナだけが、乗った船ではありませんでした。ヨナは船賃を払いましたが、同じような乗船者がいたかもしれませんでした。しかしこの大嵐に遭っては、船長も水夫も乗客もありません。立場も民族も宗教も文化も異なる人々が暴風から生き残るために必死でした。それぞれの神に向かって大声で祈りましたし、船を軽くするため積荷を惜しんではいられませんでした。ただヨナだけが寝ていました。
 私たちも世界のすべての立場の人たちが平和に向けて祈っているのに、自分だけが船底にいて眠りこけているということはないでしょうか。災害に遭ってたいへんな人たちのことを聞きながら、クリスチャンである私たちだけが握りしめている、そんなことはないでしょうか。神に救われていることは周りの人を見なくていいことではありません。
 船の責任者である船長が船底のヨナを起こします。恥ずかしいことでした。1:6〈彼に言った。「いったいどうしたのか。眠りこけているとは。起きて、あなたの神に願いなさい。もしかすると、その神が私たちに心を留め、私たちは滅びないですむかもしれない。」〉。
 ヨナはかつて北イスラエル王国がヤロブアム二世の時代に領土を最大限に回復するという預言をしたことがありました(Ⅱ列王14:25)。そのような「よい知らせgood news」で国内の高い評判を得ていたかもしれません。しかし、いまはそんな経歴は何の役にも立たず、船の一員として、せめては自分の神に祈るべきでした。
 ヨナは、自分が〈【主】の御顔を避けて〉神の臨在presenceから離れてしまっていることを、当然思い起こしたはずでした。しかし、どうにもなりません。塩が塩気をなくしているのです(マタイ5:13)。そしてきわめて異教的で、さらに迷信的かもしれませんが、乗船者でくじを引くことになりました。だれが原因で嵐が起きたのか、追求するためです。ヨナがそのくじに当たりました(1:7)。
 ヨナはさらに恥ずかしかったと思います。まことの神を知らない人たちに、自分の不信仰をとおして知らせることになろうとは。〈あなたの仕事は何か。どこから来たのか。国はどこか。どの民の者か〉(1:8)。ヨナは自分の職業が預言者だとは名のらなかったように見えます。恥ずかしかったのか。主の命令から逃げ出して、自分はもはや預言者ではなく、ただの失業者だと思ったからでしょうか。
 それでもヨナは言わざるを得ません。〈私はヘブル人です。私は、海と陸を造られた天の神、【主】を恐れる者です〉(1:9)。不信仰な自分の愚かさからでしたが、ヨナはこのとき真に恐るべき方はだれであるかを様々な国や民族の人々に知らせることができたのです。ヨナは自分を海に投げ込むことで暴風は収まるはずだと言いました(1:12)。
 船の人たちはためらいもしましたが嵐が収まらないので、ついにはヨナの信じている主なる神に対して祈りさえしたのです(1:13-14)。1:15-16〈こうして、彼らはヨナを抱え上げ、海に投げ込んだ。すると激しい怒りがやんで、海は凪になった。1:16人々は非常に【主】を恐れ、【主】にいけにえを献げて誓願を立てた〉。ヨナはいのちを捨てました。その犠牲によって、船の人々は生き延びて、さらにまことの信仰を得たのです。
 さて、嵐が止んだとはいえ、深い海のなかでヨナは死ぬはずでした。次に出てくる〈大きな魚〉はヨナに止めを刺すためではなく、ヨナを再び生かすためでした。再び生かすというのは、ヨナの肉体が死なずにすむというだけでなく、魚の腹の中でヨナが再び信仰を取り戻し、神からいただいた使命をもう一度果たすようになるためでした。
 1:17-2:1〈【主】は大きな魚を備えて、ヨナを呑み込ませた。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。2:1 ヨナは魚の腹の中から、自分の神、【主】に祈った〉。ヨナは祈りの最後に〈しかし私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえを献げ、私の誓いを果たします。救いは【主】のものです〉(2:9)と言いました。2:10〈【主】は魚に命じて、ヨナを陸地に吐き出させた〉のです。それでヨナは〈再び〉主のことばを聞いて、アッシリアに向かうことになります。都ニネベの人たちは、大勢の人たちが神に悔い改めたのです。

(不機嫌な預言者)
 3:10にあったように、ヨナの宣教によってニネベの人たちは悪の道から立ち返りました。下すと言っていた災いを、神は思い直し、行いませんでした。しかし、ここでめでたしめでたしとはならないのです。4章では、預言者ヨナの不機嫌と怒りと不平不満を見ることになります。
 ヨナの言い分はこうでした。4:2-3〈ああ、【主】よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへ逃れようとしたのです。あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直される方であることを知っていたからです。ですから、【主】よ、どうか今、私のいのちを取ってください。私は生きているより死んだほうがましです〉。
 ヨナは、ニネベの人たちが悔い改めないことを願っていました。神からの怒りと裁きはそのままで、決して助かってほしくないと考えていました。アッシリアは侵略者だから、異教徒だから、さんざん悪事をこれまで働いてきたから、ヨナに言い分はあったと思います。しかし主は言われました。4:4〈あなたは当然であるかのように怒るのか〉。
 ヨナはニネベの東の方に移動し、仮小屋(仮に拵えた粗末な小屋)を造って、ニネベが滅びるのを待つことにしました。自分のストライキを見て、神が思い直すことを思い直さないだろうかと期待したのです。そんなヨナに対して、神は、日除けとなる唐胡麻の木を備えて生えさせ、その唐胡麻の木を一匹の虫によって今度は枯らすということをして、当然とは何か、そして恵みとは何かを考えさせます。
 主のこのことばでヨナ書は終ります。4:10-11〈あなたは、自分で労さず、育てもせず、一夜で生えて一夜で滅びたこの唐胡麻を惜しんでいる。4:11 ましてわたしは、この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか。そこには、右も左も分からない十二万人以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか〉。神がヨナを説得しようとしています。ヨナは自分もまた神に惜しまれていて、船員のリンチからも、海での溺死からも免れたことを忘れています。大きな魚だって、ヨナを殺すことはできたのです。

(まとめとして)
 最後に、ヨナ書から私たちが学べることを網羅してみましょう。
 第一に、ヨナがそうであったように、私たちは主が行きなさいというところに行き、そこで証をするべきです。キリストは私たちを今週もこの世に置いてくださいます。そこのすべての状況が、主によって遣わされたところでしょう。ヨナのように、恥をかくこともあるかもしれません。しかし、主が最善をなしてくださいます。
 第二に、ヨナが主の備えた魚の腹の中で祈ったように、私たちも祈りのために導かれた時と場所を大切にしましょう。振り返りをしながら感謝して、これからの使命のためにも神に心を注ぎ出して祈りましょう。ヨナは魚の腹の中でニネベの人たちのために祈れたら、もっとよかったのかもしれません。
 第三に、ヨナは主の前に正直でした。神に命じられたことが嫌でタルシシュ行きの船に船賃を払って乗り込みました。また主がニネベ壊滅を思い直されたと知ると、自分のことは棚に上げて、神に文句を言いました。少なくともヨナは偽善者ではありませんでした。こんな世界のこんな私たちですが、神がそのご計画に従って私たちをキリストに似た者に変えてくださる。その保証として、またその力として、私たちの心と教会の交わりのなかに、聖霊が与えられていることを信じましょう。
 私たちは、ヨナのように、ときには未信者から不興を買うこともありますが、それでも主の証人として、神から懇ろに扱われているのです。私たちが信頼している方は〈情け深くあわれみ深い神であり、怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直される方〉(4:2)であります。一言祈りましょう(祈祷文は省略)。


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