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2024年4月28日礼拝説教「主はシオンを選び 住みかとして望まれた~都上りの歌⑬~」(詩篇132:1~18)

聖書箇所  詩篇132:1~18
都上りの歌。
132:1 【主】よダビデのために彼のすべての苦しみを思い出してください。
132:2 彼は【主】に誓いヤコブの力強き方に誓いを立てました。
132:3 「私は決して私の家の天幕に入りません。私のために備えられた寝床にも上がりません。
132:4 私の目に眠りを与えません。私のまぶたにまどろみさえ。
132:5 【主】のために一つの場所をヤコブの力強き方のために御住まいを私が見出すまでは。」
132:6 今や私たちはエフラテでそれを聞きヤアルの野でそれを見出した。
132:7 さあ主の住まいに行き主の足台のもとにひれ伏そう。
132:8 【主】よ立ち上がってください。あなたの安息の場所にお入りください。あなたとあなたの御力の箱も。
132:9 あなたの祭司たちが義をまといあなたにある敬虔な者たちが喜び歌いますように。
132:10 あなたのしもべダビデのためにあなたに油注がれた者を退けないでください。
132:11 【主】はダビデに誓われた。それは主が取り消すことのない真実。「あなたの身から出る子をあなたの位に就かせる。
132:12 もしあなたの子らがわたしの契約とわたしが教えるさとしを守るなら彼らの子らもとこしえにあなたの位に就く。」
132:13 【主】はシオンを選びそれをご自分の住まいとして望まれた。
132:14 「これはとこしえにわたしの安息の場所。ここにわたしは住む。わたしがそれを望んだから。
132:15 わたしは豊かにシオンの食物を祝福しその貧しい者をパンで満ち足らせる。
132:16 その祭司たちに救いをまとわせる。その敬虔な者たちは高らかに喜び歌う。
132:17 そこにわたしはダビデのために一つの角を生えさせる。わたしに油注がれた者のためにともしびを整える。
132:18 わたしは彼の敵に恥をまとわせる。しかし彼の上には王冠が光り輝く。」

参考聖句
Ⅱサムエル 6:17
人々は【主】の箱を運び込んで、ダビデがそのために張った天幕の真ん中の定められた場所にそれを置いた。ダビデは【主】の前に、全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げた。

参考聖句
Ⅰ歴代誌 22:8
しかし、私に次のような【主】のことばがあった。『あなたは多くの血を流し、大きな戦いをしてきた。あなたがわたしの名のために家を建ててはならない。わたしの前に多くの血を地に流してきたからである。

参考聖句
Ⅰコリント 15:58
ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。

参考聖句
ローマ2:28-29
2:28 外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上のからだの割礼が割礼ではないからです。
2:29 かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による心の割礼こそ割礼だからです。その人への称賛は人からではなく、神から来ます。

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 許諾番号4–2–3号

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説教ノート 
序・献堂から約6年
① ダビデは主の家に熱心である
② ダビデは契約の箱のために尽力する
③ ダビデは事業を後進に託する
④ ダビデは大切なマークとなる

主はシオンを選び 住まいとして望まれた
詩篇132:1-18
 どこのだれとは言わないほうがいいと思うのですが、先週、会堂建築に取り組もうとしているひとりの若い教職者とオンラインでお話をしました。会堂が老朽化していて急いで何とかしなければならないのですが、教会がまとまらないとのことでした。
 私たちの教会の会堂が建って、もうすぐ6周年です。会堂建築中には『主の宮を建てよ』というA4片面のニュースを9号ほど発行しました。多くの人に祈ってもらったり、協力していただくことを目的にそうしたニュースレターを出していたのです。そのニュースレター『主の宮を建てよ』が3号分ほど、ご自分の仕えている教会を掃除したら出てきた。それで関心をもって連絡をくださったというわけです。
 このことばかりではありません。今年になって、3月の特別祈祷会で玉川教会の福井牧師夫妻と役員の方に会堂を見てもらうことができました。その前には地区連合のブロック別牧師会で同労者が5名ほど訪ねてこられた。会堂も見てもらいましたが、そのうちのひとりは「お手洗いがとてもきれいです」と言って写真を撮っていかれました。
 コロナ禍をくぐって私たちの物の見方が少し変わったのかもしれませんが、会堂が建ったばかりのころです。ある学生がうちで教会実習をすることになって、いっしょに車で出かけることがあったのですが、その学生が「なんでこの教会の建物はこんなに小さいのですか」と私に言ってきました。別の理由だと思いますが、同労者が、例によって意見を変えて「この人はやめましょう」と言ってきたので、私も賛成して、急遽、その学生に教会実習を降りてもらうことが何年か前にありました。
 皆が皆、良いと言っているわけではないという例としてお話ししました。
 なぜ、教会の建物の話をしているかというと、今日の聖書箇所が、礼拝の場所づくりに一生をかけたような人物が出てくるからです。意外に思う人もいるかもしれませんが、今日の詩篇132篇で4回も名前の出てくるダビデ王です。また13節ですが〈【主】はシオンを選び〉と書いてあります。それで、神の選びについても考えていきます。
 一言お祈りしましょう。「主イエス・キリストの父なる神。あなたのお名前を崇めます。あなたは、人を選び、時を選び、場所を選びます。これが、私たちには計り知れない、あなたの知恵であり、ご計画であることを信じます。どうか今日も聖書のことばによってあなたの恵みと真理とを示してください。聖霊ご自身が私たちひとりひとりにお語りくださいますように。イエス・キリストのお名前で祈ります。アーメン」。
 
(ダビデは主の家のために熱心である)
 都上りの歌のシリーズ。(他の詩篇の多くもそうですが)特別な詩人がつくった作品ではなく、礼拝のためにエルサレムへ旅する無名の人々に歌い継がれてきた賛美歌。詠人知らずの歌でしょう。しかし詠人知らずであっても、詩篇を編纂し、適切に並べた人たちはいたはずです。その配列の意図をも私たちは読み取ろうとしています。
 そしてとくに、私の仮説ですが、130と131と、この132篇を、エルサレムに到着し、神殿のなかでささげた祈りとして読んでいこうと思います。130篇は、深い淵から神を呼び求め、罪の赦しを願いました。〈【主】には恵みがあり豊かな贖いがある〉(130:7)のです。その赦しによる平安のなかで、信仰者は〈乳離れした子が母親とともにいるように〉(131:2)、心も目も高ぶらず、たましいは落ち着いています。
 そして132篇は、祈りの家である神殿を意識しています。しかし神殿を意識するなかで、信仰者は、ソロモンではなく、ダビデの名を挙げているのです。
 子どものときにこんななぞなぞがありました。「大阪城をつくったのはだれでしょう」。「豊臣秀吉」。「違います、大工さんです」(笑)。
 このなぞなぞと同じにすれば、エルサレムの第1神殿を最初につくったのも大工さん(設計業者、現場作業員)ということになるかもしれません。しかしふつうに考えると、神殿を建てたのは工事を始めて完成させたときの王であるソロモンです。しかし〈【主】よ〉で始まるこの祈りのなかで、とりあげられているのはソロモンの父ダビデです。
 132:1〈【主】よダビデのために彼のすべての苦しみを思い出してください〉。
 ダビデ王は、旧約聖書を語る上で外せない人物で、イスラエルの王政を確立した人物です。小さいときは羊飼いの家の末っ子。戦いで名を挙げるも先に王になったサウル王からの妬みで殺されそうになり、ペリシテの地で亡命。サウルの死によって帰国し王となるも、自らの罪によって始まる子ども同士の争い。たしかに苦労の多い人物です。
 しかし132:1で言われている〈彼のすべての苦しみ〉とは、そういうことではありません。サムエル記や歴代誌にも描かれなかった、彼の神の家に対する熱心のことです。
 132:2-5〈彼は【主】に誓いヤコブの力強き方に誓いを立てました。132:3「私は決して私の家の天幕に入りません。私のために備えられた寝床にも上がりません。132:4私の目に眠りを与えません。私のまぶたにまどろみさえ。132:5【主】のために一つの場所をヤコブの力強き方のために御住まいを私が見出すまでは。」〉。
 5節の〈【主】のために一つの場所を〉というのと〈ヤコブの力強き方のために御住まいを〉というのは、同じことを繰り返す表現です。神の家を建てるまで、極端な表現ですが「一睡もしないでがんばる」というのです。自分の政治的利益のために宗教を利用するのではなく、自分の信仰的な熱望のためにダビデのすべてはあったのです。
 
(ダビデは契約の箱のために尽力する)
そのようなダビデの熱望は、具体的にどんなことに現れたでしょうか。それは、神の臨在を示す《契約の箱》でありました。映画の好きな方は、ハリソン・フォードの「レーダーズ/失われたアーク《聖櫃》」Raiders of the Lost Arkということになるのかもしれません。イスラエルが出エジプトを果たし、モーセがシナイ山で十戒の書かれた石の板を神から与えられ、それを納めた箱が《契約の箱》でした。
 荒野の40年も、カナン侵攻のときも、神が共におられるしるしとして《契約の箱》はイスラエルと共にありました。しかしⅠサムエル4章に出てくるペリシテとの戦で《契約の箱》は奪われて。その後、この《契約の箱》は132:6に出てくる〈ヤアルの野〉で放置されていました。この《契約の箱》を王となったダビデ自身が都と定めたエルサレムに運びます。〈エフラテでそれを聞き〉というのは、ダビデの出身地を指すのです。
 132:6-9〈今や私たちはエフラテでそれを聞きヤアルの野でそれを見出した。132:7 さあ主の住まいに行き主の足台のもとにひれ伏そう。132:8 【主】よ立ち上がってください。あなたの安息の場所にお入りください。あなたとあなたの御力の箱も。132:9 あなたの祭司たちが義をまといあなたにある敬虔な者たちが喜び歌いますように〉。
 8節の〈【主】よ立ち上がってください〉というのは、主の《契約の箱》が民に担がれて出発するときの決まり文句でした(民数記10:35)。ソロモンの時代に神殿に《契約の箱》が運び入れられたときも、この祈りのことばが用いられました(Ⅱ歴代6:41)。
 そして10節には〈あなたのしもべダビデのためにあなたに油注がれた者を退けないでください〉とあります。〈あなたに油注がれた者〉というのはダビデ以後の王たちのことです。ダビデは、熱望して、神の臨在を表わす《契約の箱》をエルサレムの天幕まで運び入れることができました。しかし、この《契約の箱》のために家を建てることはできませんでした。熱心なダビデでしたが、神殿建設は許されなかったのです。
 
(ダビデは事業を後世に託する)
 神の家に熱心で、《契約の箱》のために尽力したダビデ。しかしダビデの生涯が〈多くの血を流し、大きな戦いをしてきた〉(Ⅰ歴代22:8)ために、神殿を建てるための大きな蓄えを残せても(Ⅰ歴代22:5&14)、神殿を建てることは禁止され、跡継ぎのソロモンにその働きは託されます(Ⅰ歴代22:6-16)。
 132:11-12〈【主】はダビデに誓われた。それは主が取り消すことのない真実。「あなたの身から出る子をあなたの位に就かせる。132:12 もしあなたの子らがわたしの契約とわたしが教えるさとしを守るなら彼らの子らもとこしえにあなたの位に就く。」〉。
 ダビデは自分の肉の弱さをよく知っていて、自分の罪のゆえに、自分の後継者たちに災いや裁きが来ないか心配していたと思います。しかしダビデが主に誓ったように(132:2)、主はダビデに誓ってくださいました。そして〈あなたの身から出る子をあなたの位に就かせる〉と言ってくださり、続く後進にも祝福が及ぶことを聞きました。
 もちろん、それぞれの子孫が〈わたしの契約とわたしが教えるさとしを守るなら〉という条件があります。それは、神のことばに違反し続けて、やがてダビデのユダ王朝も滅びてしまう。そのことが、神の念頭にあったのかもしれません。
 このように、最初の神殿建設は、次世代のソロモンによって達成されました。しかし神殿で祈る信仰者は、ソロモンではなくダビデを思い起こしていました。
 最近、NHKで始まった番組で「新・プロジェクトX」があります。東京スカイツリーの建設とか、カメラ付き携帯電話の開発とか、震災後の三陸鉄道の復旧とか、大きな事業に関わった無名の人たちを紹介する番組です。私たちは「プロジェクトX」に出演することはないと思いますが、このように礼拝に集って教会の形成に取り組む私たちは、無名であっても、神に覚えられているし、あとに続く者の励ましとなるはずです。
 パウロもⅠコリント15:58でこう言っています。〈堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから〉。私たちは〈来たるべき都を求めて〉います(ヘブル13:14)。
 
(ダビデは大切なマークとなる)
 最後に、詩篇132:13-18です。〈【主】はシオンを選びそれをご自分の住まいとして望まれた。132:14 「これはとこしえにわたしの安息の場所。ここにわたしは住む。わたしがそれを望んだから。132:15 わたしは豊かにシオンの食物を祝福しその貧しい者をパンで満ち足らせる。132:16 その祭司たちに救いをまとわせる。その敬虔な者たちは高らかに喜び歌う。132:17 そこにわたしはダビデのために一つの角を生えさせる。わたしに油注がれた者のためにともしびを整える。132:18 わたしは彼の敵に恥をまとわせる。しかし彼の上には王冠が光り輝く。」〉。
 ダビデが神に対して熱心で用いられただけでなく、神が最初からダビデを選んで、ご自分の御心のために用いたということも押えなければなりません。詩人である信仰者は、神殿で祈りながらダビデについて思い起こしていました。聖書によってすでに学んでいた情報もあれば、祈りのうちに示された気づきもあったかもしれません。
 13節に〈【主】はシオンを選び〉とあります。主はシオンを《神の家》にしようとされたのです。15節以下に書かれてあるように、エルサレムを経済的に豊かにし、そこで信仰のすばらしさがはっきりと分かるようにする。王への力と知恵と栄誉もあるのです。
 主なる神は、ダビデを選ばれました。サウルは退けられましたし、ダビデの親友ヨナタンでさえも王としては選ばれておりませんでした。あることのため、その時代が用いられ、実現のために時代の到来を待たなければならないことがあります。また別のことのために、ある場所が選ばれ、他の場所ではなかったということがあります。
 2024年4月末の現在、たとえば神がイスラエルを選民と考えることはどうなのだろうと思いたくなります。いまガザ地区でたくさんの子どもたちのいのちを奪っているのは、私たちが旧約聖書をとおしてお手本にしている民族の子孫だということも間違いありません。しかし、もう一度開いて確認したいのですが、ユダヤ人でもあった使徒パウロは、ローマの教会に宛てた手紙でこう書きました。
 ローマ2:28-29〈外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上のからだの割礼が割礼ではないからです。2:29 かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による心の割礼こそ割礼だからです。その人への称賛は人からではなく、神から来ます〉。そのとおりだと思います。
 そしてもうひとつ大切なことは17節で〈そこにわたしはダビデのために一つの角を生えさせる〉と書いてあることです。これは明らかなメシア預言です(ルカ1:69)。ダビデは、世界万民にとって、神殿を建て始めた国民の王ではなく、救い主キリストを思い出させる信仰者の王です。
 《契約の箱》は、紀元前586年エルサレムがバビロンによって攻略されたとき、ソロモンが建てた第1神殿と共に失われました。また紀元前515年に第2神殿として再建され、ヘロデ王によって大改築された第3神殿は、紀元70年ローマ軍の攻略により地上から姿を消しました。
 132:13で〈【主】はシオンを選びそれをご自分の住まいとして望まれた〉と今日の私たちが言うとき、それはひとりひとりの信者に神とキリストの霊である聖霊が宿り(Ⅰコリント6:19)、而して信者の群れである教会にも聖霊が宿る(Ⅰコリント3:16)ということです。それは次回に学ぶ133篇で、もう一度、確認するに違いありません。
 一言祈りましょう。「愛する父よ。132篇の信仰者は神殿のなかで祈り始め、エルサレムに《契約の箱》を運び入れ、文字通り神の家の礎となったダビデ王を偲びました。私たちも、多くの方々の奉仕によって、今日あるを得ていますから感謝します。また、この教会に会堂を2018年に与えてくださってありがとうございます。しかしすばらしい建物がありましても、生きた信者がそこに集い、礼拝をささげ、交わりが息づかなければ、教会としての働きはありません。私たちは、神の救いの歴史のなかに生かされています。先人や先輩の奉仕によって現在の私たちに恵みがあるように、私たちの奉仕によって後進や後輩、次世代の皆さんに、善き賜物を残させてください。ひとりひとりの救い主、教会のかしら、世界の主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン」。



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