棗いつき『百歌繚乱』現代語訳


初めに

どうも。たかしのだがしです。
みなさんは2024年6月16日のファンミーティング参加しましたか?
おそらくこの記事を読んでいるほどの人ならまあ行っただろうなとの予想はしています。
そこで初お披露目され、当日夜にはメンバーシップ限定で先行公開された新曲『百歌繚乱』。和風なたむも艶やかで美しい。
まだ聞けてないよの民は、後日一般公開されるとのことなので楽しみに待機ですね。
ところでこの曲、歌詞が古文的な言葉遣いなこともあり直感的に歌詞を理解するのが難しいよ~の人もいるのかもしれないと思い、少し訳をつけてみることにしました。

歌詞一覧

まずは歌詞の全体像を。
MVに映っていた歌詞をそのまままとめ、異なる読みもあるものは()でルビを足しています。

闇夜に紅 薫(くゆ)るも麗し
花ひとつ ひとつ ほころぶ頃
そよ吹く夜風に 蕾の羽織を
ほどきませ心 昂るまま

幽世(かくりよ)は何処(いずこ)と
焦がれ 彷徨える者よ
いずれは往く路ぞ
ならば今宵は宴 一度(ひとたび)

歌えや今 泡沫(うたかた)の命に 炎(ほむら)灯して
憂いも嬉しも忘れて 遊びませ
繚乱 万の音に 身を委ねて 眠るまで
浅き夢にも 酔わせ酔わされて
共に乱れ咲け

黄昏淋しと 嘆けど麗し
花ひらり ひらり 舞い散る頃
月には叢雲 逢瀬は玉響(たまゆら)
語りませ心 赴くまま

現世(うつしよ)はあらまし
幾年(いくとせ)を渡る木々も
可惜夜(あたらよ)に結んだ
花は今宵の宴 一度

踊れや今 泡沫の命に 炎灯して
恋も憎しも忘れて 遊びませ
絢爛 夜のほどろに 消えゆく その刹那まで
色は匂へど 散るが宿命(さだめ)なら
共に狂い咲け

歌えや今 泡沫の命に 炎灯して
憂いも嬉しも忘れて 遊びませ
繚乱 万の音に 身を委ねて 眠るまで
浅き夢にも 酔わせ酔わされて
共に乱れ咲け

語釈&考察

頭から順に追って行きましょうか。まずは
「闇夜に紅 薫(くゆ)るも麗し
花ひとつ ひとつ ほころぶ頃
そよ吹く夜風に 蕾の羽織を
ほどきませ心 昂るまま」の部分。
「闇夜に紅」は本人がファンミでモチーフは桜だと仰っていたので「闇夜に(桜の)紅」ということかなと。実際の桜花は紅よりも淡いのでどうだろうという感じもありますがここで他の花を出すとややこしくなりますし桜でしょう。古典的には紅は桜というより梅の花を指します。
「薫るも麗し」は「匂いが立ち上り壮大で美しい」でしょうか。薫るは比喩的に「思い焦がれる」の意で用いられることもあり、その桜の匂いを感じている人の心情も想像することができます。
因みに!古文での「匂い(匂ひ)」は嗅覚だけでなく視覚にも使います!
「花ひとつ ひとつ ほころぶ頃 そよ吹く夜風に 蕾の羽織を ほどきませ心 昂るまま」はまとめて、静かに夜風が吹くところに蕾が開いていく様子を表しています。
「ほころぶ」は「(蕾が)少し開く」の意で、「蕾の羽織を ほどきませ」とイコールです。「ほどく」は「身に着けていたものを外す」の意。
尚、古文では「ほどく」に該当する語は「とく(解く)」ですのでこの機会に学生たちは覚えておきましょう。
「蕾の羽織を ほどきませ心 昂るまま」は倒置で、「まま」がここでは「~につれて・~にまかせて」の意味合いが適していそうなので蕾に「心昂るままに羽織を脱いで(咲いて)」と語っているのでしょう。言うまでもなく擬人法があります。蕾は暗に我々を指しているとも受け取れる。
まとめると、「闇夜に桜の紅の匂いが美しい。花がひとつひとつ咲く頃だ。静かな夜風に吹かれて心が昂るのにつれて蕾は羽織を脱ぐように咲いてほしい」という感じでしょうか。

次に
「幽世(かくりよ)は何処(いずこ)と
焦がれ 彷徨える者よ
いずれは往く路ぞ
ならば今宵は宴 一度(ひとたび)」
いきなり出てきた「幽世」!これは端的言うと死後の世界です。
「隠世」とも書き、字の通り隠れた世界ということで、現世(生きてる世界)との対義語です。
なんとなく、隠れる=いなくなる=死という連想があるかなぁと思います。
「いずこ」は「どこ」で、「焦がれ」は「切望する」です。
「往く」はここでは「行く」と同じです。
「あの世はどこにあるのかと切望して彷徨っている者よ。いずれは行く道なんだから今宵は宴をしよう。人生は一度きりなんだから」と訳してみます。
ここはたむの死生観でもある「いずれ死ぬんだからそれを憂うより今を楽しもう!」というテーマを詩的に表現した部分ですね。

1番のサビに突入
「歌えや今 泡沫(うたかた)の命に 炎(ほむら)灯して
憂いも嬉しも忘れて 遊びませ
繚乱 万の音に 身を委ねて 眠るまで
浅き夢にも 酔わせ酔わされて
共に乱れ咲け」
豪華絢爛な宴のような華々しい光景が想像できます。
「泡沫」は「泡やしぶき」で、転じて非常に儚いものの例えとしてよく用います。
「炎灯して」は『Limitless』の「可能性に火をつけて」を連想しました。「輝かせて」みたいなニュアンスかな?
「遊びませ」の「遊ぶ」は古文だと「詩歌や管弦、歌舞を楽しむ」の意がメインですが、ここではそのまま現代語と捉えていいかもしれません。「歌えや今」「万の音」とシナジーがあります。
「浅き夢にも 酔わせ酔わされて」はいろは歌の「浅き夢見し酔ひもせず」をもじったものですね。
「浅き夢」は眠りが浅い時に見る夢で儚いものを表し、また、そこから儚い一生を指すことがあります。
「酔わせ酔わされて」はいろは歌の「酔ひもせず」とは対照的です。いろは歌では仏教由来の意味という説もあるので、酔うようにだらだらと生きるのではなくしっかり修行しようという戒めもあるのでしょう。対して百歌繚乱は「宴でもあるし酔ったみたいに楽しくやろうよ」というメッセージになりるのかな。この、真似しながらも別の意味を持たせるというのは和歌の技法である本歌取りみたいで好きです。
全体の訳は「歌おう今!一瞬の命を輝かせて!憂いとか嬉しいとか感情なんて忘れて遊びましょ!百花繚乱なたくさんの音に身を委ねて疲れて眠るまで、浅い夢みたいな一生でもお互い酔ったみたいに一緒に乱れ咲こう!」となります。

2番に突入
「黄昏淋しと 嘆けど麗し
花ひらり ひらり 舞い散る頃
月には叢雲 逢瀬は玉響(たまゆら)
語りませ心 赴くまま」
「黄昏」は薄暗くなった夕方で、転じて盛りを過ぎ勢いが衰えることを指します。2番に入ってすぐ花は散ってしまいます。儚いもんです。でもその哀しみが麗しいんです。嘆いているのは桜でしょうか、桜を見ている人でしょうか。どちらが正解というわけではなくここは聞き手に解釈を委ねているのだと思います。
「月には叢雲」は元ネタがありまして、「月に叢雲、花に風」という言葉があります。ともに風情を邪魔するものの象徴で、月が雲に隠れたり、花が風に散らされるのを惜しむ語です。「花ひらり ひらり 舞い散る頃」と縁語みたいですね。
そのせいで「逢瀬は玉響」、逢えるのは一瞬なんです。「玉響」は宝石がかすれあって微かに音を立てるところから由来して「ほんの一瞬」という意味になりました。美しい日本語ですね。「逢瀬」は単に面会という意味以外にも恋人と逢うというニュアンスを含むことがあります。むしろその方がメジャーかも?
万葉集には「玉響に昨日のゆふべ見しものを今日の朝(あした)に恋ふべきものか (ほんの少しだけ昨日の夕方に逢ったのに、今朝には恋しくなっていいものなのだろうか)」(2391/柿本人麻呂)という恋の歌があります。※初句の「玉響(に)」は「たまゆらに」「たまかぎる」どちらで読むかははっきりしていない。意味は同じ。
そんな一瞬の美しさだからこそ語りたくなるのでしょう。「心」は「情趣を理解する心」と訳せます。「赴くまま」はその心のままにという意味と「趣」を掛けていると思います。
まとめると「盛りの過ぎた黄昏は淋しい。けどそう嘆いているのも美しい。花がひらりひらり舞い散る頃。名月に雲がかかり、花は風に散る。逢えるのはほんの一瞬。心のままにその趣を語りましょう」といった具合かな?

続いて
「現世(うつしよ)はあらまし
幾年(いくとせ)を渡る木々も
可惜夜(あたらよ)に結んだ
花は今宵の宴 一度」
「現世(うつしよ)はあらまし」の「現世」はこの生きてる世界。「あらまし」は「荒まし」で文字通り荒い・激しいの意。
「可惜夜(あたらよ)」は「明けるのが惜しい夜」。漢字は「惜しむ可き夜」と意味そのままですが読みが結構特殊です。…が語源を知ると理解できます。「あたらし」という古語がありまして、その意味が「(そのままにしておくのが惜しいくらいに)立派である」なんです。
「新(あたら)しい」は「あらたしい」だったのが変化したものなのでやや違う。メイちゃんがトウモロコシをトウモコロシと言ってたのと同じ
では誰にとっての可惜夜なのか。これも桜自身と見る人両方に解釈可能です。たむはnayutaさんと見た樹齢千年以上の桜に「何千年と生きるこの桜でもこの花は今しか咲いていないんだよなと思ったとこから着想を得た」とファンミで話していて、それがここの部分なんでしょう。
明日には風に散らされるかもしれない桜花の想いがあり、桜はそう感じているかもしれないと想う人の姿もまたそこにある良い表現です。
源信明の歌に、「可惜夜の月と花とを同じくはあはれ知れらむ人に見せばや  (可惜夜の月と花を、どうせならあはれを理解している人に見せたいものだ)」(後撰集・春下103)というのがあり、いかに趣のある夜なのかが窺えます。
この歌詞は「この世は荒く、何年も経つ木々にとってもこの夜に結んだ花は今宵一度限りの盛りだから明けるのが惜しい。でもこの一度は!」と少し意訳してみました。

2番サビ!
「踊れや今 泡沫の命に 炎灯して
恋も憎しも忘れて 遊びませ
絢爛 夜のほどろに 消えゆく その刹那まで
色は匂へど 散るが宿命(さだめ)なら
共に狂い咲け」
被るとこは省略。「夜のほどろ」は明け方を指します。
「刹那」は短い時間。玉響に似た語です。現代だと1刹那=1/75秒だと定められているとか。
「色は匂へど 散るが宿命(さだめ)なら」も1番サビ同様いろは歌に起因した歌詞ですね。まさに「色が美しく匂っていても散る宿命なら」です。視覚も匂う、さっき説明しましたね。
「狂い咲き」は花が季節外れの時期に咲くことが元々の意味ですが、転じて「衰退する中でも一瞬だけ盛んな様子になること」という意味でも用いられます。
ここは1番サビに似て「踊ろう今!一瞬の命を輝かせて!恋しいとか憎いとか感情なんて忘れて遊びましょ!豪華絢爛に咲き夜明けには消えてゆくその刹那まで。綺麗に咲いても散る宿命なら一緒に狂い咲こう!」と訳しました。
ラスサビは1番サビと同じなので省略。

現代語訳

闇夜に桜の紅の匂いが美しい。花がひとつひとつ咲く頃だ。静かな夜風に吹かれて心が昂るのにつれて蕾は羽織を脱ぐように咲いてほしい

あの世はどこにあるのかと切望して彷徨っている者よ。いずれは行く道なんだから今宵は宴をしよう。人生は一度きりなんだから

歌おう今!一瞬の命を輝かせて!憂いとか嬉しいとか感情なんて忘れて遊びましょ!百花繚乱なたくさんの音に身を委ねて疲れて眠るまで、浅い夢みたいな一生でもお互い酔ったみたいに一緒に乱れ咲こう!

盛りの過ぎた黄昏は淋しい。けどそう嘆いているのも美しい。花がひらりひらり舞い散る頃。名月に雲がかかり、花は風に散る。逢えるのはほんの一瞬。心のままにその趣を語りましょう

この世は荒く、何年も経つ木々にとってもこの夜に結んだ花は今宵一度限りの盛りだから明けるのが惜しい。でもこの一度は!

踊ろう今!一瞬の命を輝かせて!恋しいとか憎いとか感情なんて忘れて遊びましょ!豪華絢爛に咲き夜明けには消えてゆくその刹那まで。綺麗に咲いても散る宿命なら一緒に狂い咲こう!

歌おう今!一瞬の命を輝かせて!憂いとか嬉しいとか感情なんて忘れて遊びましょ!百花繚乱なたくさんの音に身を委ねて疲れて眠るまで、浅い夢みたいな一生でもお互い酔ったみたいに一緒に乱れ咲こう!

終わりに

ここまでまとめてきましたが、やろうと思ったきっかけが大学の時に和歌を専攻していまして、歌を聞いていてなんか雰囲気似ているな~と思ったんです。題材に言葉に技巧に…たむも学んでいたのかな?
日本独特の感性というものがいくつかありまして、桜が散るみたいな「限りがあるからこその美しさ」もそうなんですよね。外国人も桜を見て綺麗だと感じるとは思いますが、日本人のそれとは違うだろうというのが私の考えです。育った国の文学的背景が人々の無意識に宿っているような。
日本の文学の元は中国の漢詩の影響が多いですがそこから日本の仏教・神道や生活習慣と混じり、その中で生まれた「気づき」が和歌などで言葉として表現され、共有され、そして共有されたことにより新たな気づきが生まれ…という過程を、たむとnayutaさんが見た桜くらい長い年月をかけて経て辿り着いたのがこの『百歌繚乱』なのかなと壮大なことを思っています。昨今、巷では古文不要論が散見されますが古文を学んできたから今の創作があると思います。感性は継承で覚える、みたいな。まぁ、学校教育の方法がね…
古文が苦手で中身は忘れても無意識に感じたことがあって、この曲を聞いたときに抱いた感情がまさにそれなのではないかと思います。
なんて持論を展開しましたが、この記事を読んでこの言葉の意味知った!歌詞をより理解できた!と思っていただけたなら書いた甲斐があるというものです。


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