エピローグ-回想の『銀の匙』(14)
・山田の羽織の行方
第4章「山田の羽織」を書き進めながら終始気にかかっていたのは「山田の羽織の行方」です。山田さんの羽織がどのような経緯で中先生の手に移ったのか、経緯は不明なのですが、山田さんの急逝を受けて形見分けのようなことが行われたのではないかと思います。
大正2年3月の末、山田さんは弟をつれて上京し、安倍能成の留守宅で亡くなりました。古い大きなナイフで首を切ったというのですが、山田さんははじめから死ぬつもりでナイフをもって上京したのでしょうか。弟をつれていったのも自決後のあれこれを考えてのことだったのかもしれません。山田の上京を中先生が知らないはずはなく、上京した当日に会い、中先生と別れた後に自決し、それを山田さんの弟が中先生に伝えたのではないかという想像にかられます。中先生が岩波茂雄に伝え、大阪の山田家にも伝え、山段の兄が上京して後始末をし、兄と弟は大阪に戻り、中先生と岩波が遺骨をもって大阪に向い、葬儀が行われたのでしょう。そののちに山田さんの羽織は山田家から中先生に譲られたのであろうと思います。ただしもとより想像の域を出ることではありません。
中先生はずいぶん長い間、山田さんの羽織を愛用していました。羽織の行方が気にかかりますが、今はもう失われました。一説によると、中先生が亡くなられたおりに形見分けが行われ、羽織は鹿児島の渡辺先生に譲られたとのこと。渡辺先生が亡くなられたとき、渡辺先生のもとにあったあれこれのものがみな失われ、その中に羽織もあったように思うという話をしてくれた人がいたのですが、これもまたいくぶんおぼろげな巣話であり、確かな事実とは言えません。