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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (79) 琵琶島に向う
野尻湖行を決心した安倍さんのもとに、「人生に対する大いなる信仰をうるために、人なき島に大いなる悲哀を味わえ」という意味の岩波茂雄の言葉が届きました。H先生は、「若い時分には何でもやっておくほうがよい。後になるとできないから、湖の中で大悟徹底するもよかろう」と言って、いつものように呵呵大笑されたとのこと。H先生は一高の先生で、ドイツ語の保志虎吉教授、同じくドイツ語の藤代禎輔(ふじしろていすけ)教授、あるいはまた西洋歴史の原勝郎教授のうちのどなたかであろうと思いますが特定できません。T先生は、「もし君があちらへ行って、自分の今の実験の心持ちがわかってでもくれればうれしい」と言いました。このT先生はたぶん物理学の友田鎮三教授であろうと思います。
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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。
●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…
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