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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (142) 山田さんを思う

『しづかな流』は499頁に及ぶ著作ですが、全体を通じて一箇所だけ山田さんが回想される場面があります。それは昭和6年10月6日の記事で、

《□□を失つたことは私にとつてまことに償ひがたい損失であつた。彼は私のよい教師になるために生れてきたやうな人間であつた。》

と記されています。ここに□□とあるのが山田さんです。とても短い言葉で、しかも名前が隠されていますが、中島さんの手紙を見ると、中先生のこころには『しづかな流』の時代にも絶えず山田さんが生き続けていた様子が伝わってきます。次に引くのは昭和50年10月19日付で渡辺先生に宛てた中島さんの手紙です。

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1,424字
中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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