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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (61) 播州阿閇村より

 山田さんが播州阿閇で書いた第52書簡では、「僕は病気異りなし」「二三日少し元気がわるく不快だ」と病状が伝えられました。山田さんは明治38年7月に実施された第二学年第三学期の学期試験と第二学年の学年試験に応じずに帰阪したのですから、そのころすでに病気が萌していたのであろうと思われます。胸の病気です。一高の規定の中に、病気またはやむをえない事故により学期試験もしくは学年試験を受けることができない場合には、その理由が明確な生徒については、学年中に得た評点を標準とし、学期中の勤情(学業に向う姿勢。出欠状況)を参考にして認定点を付けて学期試験もしくは学年試験の得点の代りにすることができるという条項があります。

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1,135字
中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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