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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (60) 江木定男

 山田さんは7月16日付の手紙(第45書簡)で「僕はあしたから四五日播州へ行く」と中先生に伝えました。この予定は実行されたようで、7月21日付の安倍さん宛の手紙(第46書簡)と翌22日付の中先生宛の手紙(第47書簡)は播州須磨で書かれています。第47書簡によると、山田さんは須磨寺に行き、鵯越(ひよどりごえ)を1里ほど峰を伝って歩いたとのことです。次の第48書簡の日付は7月30日で、中先生に宛てた手紙ですが、この時点の山田さんの所在地は大阪です。須磨滞在は4,5日と伝えられたとおり、いったん大阪にもどったことがわかります。

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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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