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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (141)母を思う
中先生の母は嘉永2年(1849年)1月25日のお生れですから、昭和5年8月の時点で満81歳、数え年なら82歳になります。中先生は元気にしていますし、母も達者のようですし、家の手入れも去年でひと区切りがつきましたからこの夏は無事にすみそうだと思っていたところ、赤坂の家に来てみるとなかなか無事ではありませんでした。まず到着してまもなく女中さんが病気になり、結局国へ帰ることになりました。女中の名や国元は不明です。それから母の膝の下がだんだん腫れてきました。虫にでもさされたのではないかと中先生は思っていたところ、腫れがひどくなるばかりですので病院で診てもらうようにとすすめましたが、切られるのがいやだからとひとりぎめを言うばかりでした。それでもあんまり痛いのでとうとう我を折って病院に行きました。中先生が付添いです。やはり虫にさされたのが原因で、化膿したのを先生が押し出したら膿が出て治療がすみました。
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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。
●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…
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