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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (26) 野村子爵と中末子さん

 明治45年夏、福岡でやす子さんを看取った中先生は再び野尻湖畔にもどり、やす子さんの様子を見守りながら書き綴った「銀の匙」を書き上げて漱石先生のもとに送りました。明治35年7月に高等学校の入学試験を受けて合格し、9月になった入学してからこのかたきっかり10年の歳月が流れています。当時に立ち返ると、兄の金一さんは洋行することになり、出発に先立って末子さんとの結婚も成立し、単身ドイツに向ったのでした。

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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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