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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業(161) 落穂ひろい(その3)

●山田さんの思い出
鶴林寺を訪れた中先生と和子さんはおおよそ半世紀ぶりに浄心院の茂渡住職と再会し、大歓待を受けました。夕ご飯の席にたいそうな御馳走が並び、こういう田舎でうまいものはないけれど酒だけはと白鹿が出ました。そこで中先生は、山田さんが飲ませたのは白鶴だったなどと応じて思い出を語りました。
 山田さんの家では鶴林寺の近くの本荘の海岸に別荘というほどでもない小さな家をもっていました。土塀に囲まれた古い家で、大阪通いの百石船の船頭夫婦が留守番をしていました。明治40年の夏、文科大学に第二学年を終えた中先生は本荘で静養中の山田さんを訪ねて一夏をすごしました。

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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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