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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (97) 大阪からの便り

 明治44年7月20日すぎから8月にかけて、安倍さんと岩波茂雄は信州方面に登山旅行に出かけました。同行者はほかに英文学の田部重治、同じ英文学の市河三喜、藤村操の弟の藤村蓋。天幕を携え、信州大町を基点として高瀬渓谷から烏帽子岳、野口五郎岳、赤牛岳、黒岳から立山温泉を経て立山に登り、ザラ峠、針木峠を越えて再び大町に帰るという一週間ほどの大旅行でした。そののち安倍さんと岩波は野尻湖に向い、ここで中先生に会い、大阪の山田さんに宛ててはがきを書きました。次に引くのは三人の友人の野尻湖畔からの便りへの山田さんの返信です。

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1,195字
中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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