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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (158)釣り日記
『蜜蜂』は昭和17年10月27日の記事で終っています。この日、中先生は「兄さんは今月の十二日になくなりました」と書きました。「私は泣きました」とも言い添えられていますが、亡くなったおりの事情は何も書かれていません。その日は結婚式だったことにも触れられていませんし、結婚にいたるまでのあれこれのことも何も記されていません。中島さんは7月11日の記事に登場するのが最後です。この日は末子さんの百ヶ日でした。中先生は外出して帰り、汗になった衣類の洗濯をしました。女中さんの手もいくらか省けると思い、自分で洗ったのですが、洗濯したあと肌着に6遍もつぎをあてることになってもういやになったと女中さんがこぼしたとか。中島さんの見るところ、洗い方がきついのだとのこと。これが中先生のあらゆる書きものに中島さんが顔を出す最後の場面です。
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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。
●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…
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